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2022年7月18日 (月)

因果応報も説明がつく

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愚生はエドガーケーシー(Edgar Cayce, 1877年3月18日 - 1945年1月3日、予言者、心霊診断家)関連本を、一時、読み漁っていたことがある。それが発端となって、エリザベス・キューブラー=ロスの死と死ぬことについて関する「死ぬ瞬間」などの著書を読む機会があった。どの著書も全面的に受け入れるというわけではないが、愚生自身の考え方は持つようになった。「元々、宇宙には水素とヘリウム元素しか存在しなかったものが、超新星の爆発で炭素や酸素などを含んだ塵やガスができた。そして、その残骸が惑星の材料となり、地球が生まれ、その地球から生まれたものが私たちである。」こう考えると、宇宙の塵だから創世記3章19節にあるように 「お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」という新約聖書の文言も真実味を帯びる。シスターで臨死体験された鈴木秀子さんの著書のなかに「我々は神の母胎の一部である」という主旨の内容がある。「超ひも理論」によれば素粒子の源は振動だという。愚生自身は、振動が満たされた世界を、三次元的に見たものが我々の視界や思考にあるものなのだと考える。どんな物質(振動)も全ての振動の中の一部として共振するだろう。悪しき振動は諫められ、正しい振動に統合される。そう考えれば、因果応報も説明がつく。愚生は予兆を信じる。なぜなら、愚生がそれほど親しいと思わない猫からも逝く前に挨拶を受けたことがある。猫にとっては、愚生は少ない知人の一人だったのかもしれない。また、ある時、母が病気で苦しんでいる様を夢で見た。母のことが気になったが、よく考えれば母はずっと前に逝っているから彼女の事ではないだろう。電話口で知り合いのペットの泣き声を聞いた。どうもペットからの別れの挨拶なのかもしれないと思う。また、義弟の妻が若くて逝ったが、その命日は彼女の兄が逝った日と同じだという。偶然と言うにはあまりにも繋がっている。物事は知らず知らずのうちに多くの繫がりを持っているようだ。私事だが、学生やサラリーマン時代に、愚生を罵った人たちがことごとく不幸になっている。愚生に付く守護霊は、あまりにも癇癪持ちなのかと不安になることもある。世の中がどうつながっているか分からない。そうであれば、自分自身が日々善行を重ねることが一番の保身だと思うようになった。パソコンの前に座っていると、チワワのロイ君が愚生の部室に入って一回りして出て行った。何か用なのかと、居間を覗くと用件が分かった。ウンチを片付けろという事だった。

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