人と犬猫の価値に差などない
昨日は予兆について書いたが、すべての物が繋がっていると思えば当然のことだろう。そう考えれば、人も犬も猫も大して差はない気がする。いくら科学が発達したと言っても、動物や植物の成り立ちは未知だ。愚生もまねごとで家庭菜園などをやったことがある。アブラナ科に属する植物の仲間には、ブロッコリー、芽キャベツ、キャベツ、カリフラワー、カラードグリーン、ケール、コールラビ、カラシナ、ルタバガ、カブ、ダイコン、パクチョイ、およびハクサイなどがある。愚生のような素人には、どの種も外見は同じに見える。しかし、その小さな種から成長して食卓の野菜となる。動物の誕生は、さらに神秘に満ちたものだ。人だけが特別なものではないような気がする。ペットの殺処分など、罰当たりもいいところだ。豚や牛を食することも憚られる。それでは魚類はよいのだろうかと考え込んでしまう。菜食主義の人たちは、こういう問題に悩んで解を求めた結果なのだろうか。昨日のブログに書いた電話口で挨拶した老猫は、その日の午後に逝ったという。老猫の義理堅さには感心させられる。その老猫が愚生にわざわざ挨拶をするくらいだから、仲の良い知り合いが少なかったのだろうか。ずいぶん前になるが、愚生宅でラブラドルレトリバーを飼っていた。いくばくも余命がないと思われるときに、ソファーでカミさんと愚生の間に侍っていた。体をなぜると安心しきったような顔をしていた。カミさんが玄関を掃きに行った時に、愚生の目の前で息を引き取った。彼は愚生に改めて死というものを享受してくれた。つくづく、人と犬猫の価値に差などないと思い知らされる。殺処分撲滅運動に従事している人たちには、頭が下がる思いだ。
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