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2022年8月12日 (金)

あの頃の熱い気持ちが蘇る

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今朝は、米大リーグでカブスとレッズ一戦は、映画「フィールド・オブ・ドリームス」のロケ地となったアイオワ州ダイアーズビルで行われた。1910~20年代の復刻ユニホームを着用した両チームの選手は外野のトウモロコシ畑からグラウンドに入場し、映画のワンシーンを再現した。選手全員が裾を上げてストッキングを見せる「オールドスタイル」だった。愚生もケビンコスナー主演の映画「フィールド・オブ・ドリームス」はずいぶん前に見た。当時は、幻想と現実が入り混じった映画だと思った。愚生も子供の頃は、地域の少年野球のメンバーだった。愚生の実家近くには、今は倒産してなくなった繊維会社の大規模な社宅があった。野球チームは、その貧しい地域の子供たちの親がバックとなって結成した繊維会社の名前がついたチームだった。その麻布を生産する繊維会社には、日本の方々の地域から集められた人たちが働いていた。労働集約的な衰退企業の中で、アイヌやカノマ「鹿沼」、上田蚕糸(長野)、都城(宮崎)など、愚生の聞きなれない言葉が飛びかっていた。夫婦共働きの三交代の職場だから、男であっても乳飲み子をあやした。そして、食事も夫婦交代で手が空いた方が作るという生活だった。貧しい人たちだったが、額に汗しながら三交代24時間勤務の労働集約的な仕事をしていた。愚生がその野球チームに入っていたため、母はその繊維会社の町内会費も納めていた。母からは遊んでばかりいると「ろくな者」になれないと小言をもらった。しかし、次男で期待されていなかったため、野球をするなとまでは言われなかった。地域では少年野球をしながら、通っていた中学校では別クラブの部長をしていた。野球をしたことがある人ならだれでも知っていることだが、ストライクゾーンに投げることは容易でない。また、外野フライを取ることは簡単ではない。試合で守備の時は、何時も球が飛んでこないようにと思っていた。打席に入っても、球がバットにかすらない不安ばかり心配していた。盗塁指示には、成功確率が高い頭からのヘッドスライディングが常だった。当時の後援会は、貧しい中からユニホーム費を提供してくれた。戦後間もない頃だから、ユニホームなど持つチームは少なかった。会社がバックのため、専用の野球練習場や室内体育館、そして合宿所まであった。コーチは地域の青年団がボランティアで支えた。愚生の属したチームは、勝って当たり前の環境だった気がする。未だに懐かしく思いだす場面がある。試合は九回裏2アウトに追い込まれ1点差で負けていた。最期の打者がファーボールで1塁に行った。しかし、次の打者はヒットを打てそうもない打者だった。そこで愚生が1塁代走の走者として送られた。監督の目的は盗塁なのは明らかだった。愚生は2盗、3盗後、ヘッドスライディングでホームスチールを敢行した。運よく次打者がアウトで試合終了になる前にベースを一周して同点になった。その後、延長戦でチームは逆転勝ちした。ブログを書いていると今もあの頃の熱い気持ちが蘇る。野球は楽しいというより、応援団のプレッシャーがきつかった。誇ることがない貧しい人たちの集団だけに、いっしょうけんめいの応援はありがたいが辛かった。

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