引き継いだ者にとっては粗大ゴミ
今年も押し迫ってきた観がある。一年で大きかったことは、終活の一環としてのマンションに引っ越したことだ。それを期に浄粒善行というブログ名に替えた。戸建からマンション暮らしにかえたため、これまで溜まっていた多くの物を捨てた。今まで大切に取って置いたものであっても思い切って捨てた。何故なら、愚生の実家を取り壊した際に、両親が一生かけて作ったものを引き継いだ愚兄があっさりと捨てたからだ。親にとって大切なものでも、引き継いだ者にとっては粗大ゴミでしかない。そう考えれば、愚生が過去に見なかったものや、使わなかった物などは、本人以外にとってゴミでしかない。以前、相続物件だったマンションを購入した際も、相続人は数冊の遺品以外はゴミとして捨てたようだった。愚生も妻子に迷惑をかける前に、大切だった思い出の品であっても捨てた。ところで、季節性なのか、長期金利が上がりそうなのかは知らないが、愚生の住む地域の中古マンションの取引が活発だ。郊外であるが、駅近で利便性のよいこともあって売り物件が少ない。1億円以上する物件であっても、都内にくらべて割安なのだろうか、買い手がすぐに現れるようだ。土地バブルの際に、5倍にも跳ね上がった地価を体験した愚生は不動産価格などを信用していない。愚生が息子に譲った土地は、未だに30年前のバブル期に購入した価格にまで達していない。今から思うと、あの土地神話は何だったのかと腹立たしい。多くの労働者が額に汗して働いた糧を無残に飲み込んでしまった。真面目に働くものが報われない世は、月並みのセリフになるが政治家が悪いと言いたくなる。土地バブル期には、越後湯沢などに多くのリゾートマンションやホテルが建てられた。今はゴーストタウン化して分譲時には2000万円したマンションでも、20万円程度で投げ売りされている。また、不動産信託受益権(リート)の売買は安心だといっても、ファンドの中身は不動産会社の古いビルなどの場合が多い。金利が上がれば、暴落するようなファンドばかりだ。愚生の持論だが、消費という名目の自宅以外に不動産など持つべきではないと思う。土地バブルの無念さがトラウマとなっているのかもしれない。
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