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2022年12月20日 (火)

見るなら楽しい夢を

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今朝は、ありえもしないだろう幸運が舞い込んだ夢を見た。辛いことや悔しかった夢の記憶は多い。しかし、期待していない幸運や願望だったことを夢に見ると何か得をした気がする。三次元世界に住む愚生の「夢という虚」と現実の間に差はあるのだろうか。現実社会と空想では刑罰という違いがある。しかし、聖書にあるように空想することだけで罰せられることはない。昔読んだ「赤毛のアン」では、アンが空想に耽って楽しんでいたという記述を思い出す。「赤毛のアン」シリーズを書いたL・M・モンゴメリは、小さなプリンス・エドワード島にいて外界のことを空想していたのだろうか。ずいぶん前になるが、サイキッカーと呼ばれたエドガーケーシーの夢についての本で解析しようと思った。しかし、ほとんどのことが当てはまらず意味はわからなかった。夢自体をどういう仕組みで見るのだろうか、愚生には見当がつかない。愚生宅に共生するチワワも寝ながらぶつぶつ言う。きっと夢でも見ているのだろうと思う。人も犬も夢に関して差はないのだろう。いずれにせよ、夢を見るのなら楽しいものが良いが、選ぶことができないことが残念だ。50年くらい前になるが、数学で赤点をとって狼狽えている時に目が覚めた。夢だと知って胸をなでおろすということもよくあった。しかし、正夢になることも多く当時の辛い日々を思い出す。ここのところ、株も下げていて気分は優れない。昨年末に、株を売って終の棲家のマンションに住み替えたことは運が良かった。その後、株は下がりマンションは急騰したからだ。計画より早めに購入したことで、目的は達しているので株が下げた痛みは少ない。そう思って、自分を納得させて安心するしかない。人の欲望や願望は本人が納得しない限り満足することはない。判断基準より、本人自身の心の問題だからだ。それならば、株で儲けてお金持になったと空想していれば、満足な気分が維持可能なのだろうか。死期を迎えて意思疎通ができなくなったお袋は何を考えていたのだろうか。愚生には彼女の表情から強い怒りが感じられた。何か申し訳ないと言う気持ちでいっぱいだ。

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