過ぎたるは猶及ばざるが如し
令和五年の仕事始めに過去を振り返ってみた。早期退職してから15年目になる。月日の流れるのは早いものだ。年老いて良いことは、あと何年くらいしか生きないので、老後の貯えはこの程度で十分だと算段が付くことだ。アベノミクスで資産バブルがあったが、ここ一年の株価の値下がりで大きな損失を受けた。米国株投資が早かったため、良いこともあったが、最近は逆の巻き戻しになっている。いつも自分の思い通りには物事は運ばないのは世の常だと納得させている。大きく資産(僅かなものだが・・)の変異があるのは、調べてみたら息子たちに家を与えたときに発生したものだった。死んだら譲渡するという事は、死ぬまでやらないということに等しい。これでは与えたことにならない。愚生の親は、田舎に戻れば土地があるから無理して都会で家を買うなと言っていた。しかし、サラリーマンだった愚生は、退職後を含めて田舎に帰るかどうかなど知る由もない。生きている間をすっと借家住まいしても、老後に田舎へ戻る環境があるかは分からない。また、愚生の若い頃は高度成長期で、土地神話がまかり通っていた。とても親のいうことなど聞いていられないと腹立たしく思っていた。ここ三十年のデフレを見れば、世の中はずいぶん変わったと思う。土地バブル期に無理な借金をして、家を郊外に取得した人などは資産価値のない古家が残るだけだ。住む家は資産ではなく消耗品だと割り切っていれば、身の丈以上の家は浪費だ。都会に住むデメリットは衣食住のなかで、住の部分があまりにも大きい。都会に土地を持っていた土地成金であっても、三代目になれば住宅事情は同じだ。高級住宅街の田園調布なども、代が変わると売却するという。土地や屋敷を相続しても維持管理費が大変だからだろう。そして、相続税が重く、譲り受けたとして十分な収入がなければ維持できない。愚生の周りにも、田舎で身の丈以上の土地を譲り受けたため固定資産税に悩まされる人がいる。それの解消に詐欺まがいのハウスメーカーにアパート建築を勧められる。その結果、銀行ローンの借入額が物件の評価額を上回って四苦八苦している。人生で学んだことは、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ということだ。そう考えれば、余生は身の丈に合った暮しで過ごすのが一番だと悟る。悟ると言うより選択肢がないのだ。
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