老いるということは可能性を捨てること
ここ数日、WBCでの日本優勝の話題で疑義わっている。少年老い易く学成り難しと、英語が自由に聞けたらもっと楽しいのにと悔やまれる。ユーチューブでは米国の放送を和訳したものも数多くアップされている。ナショナリズムは強いほうではないが、いくつか見て面白かった。米国放送では日本と違いトラウトにも遠慮なく厳しい口調もあった。大谷vsトラウトでは、バットに一度もボールが当たらず三振だった。何か格下選手との対戦だったような場面だ。事実かどうか知らないが、コメンテーターからは来期の契約金は6億ドル(780億円)以上と言う話まで出ている。日々、千円札にアイロンをかけて大切に使っている愚生には縁のない話だ。ただ、老いるということは可能性を捨てることだ。大谷君や藤井聡太6冠を見ていると、何か違った次元の人に見えてくるから羨ましいとは思わない。なぜなら、とても愚生があのようなプレシャーに耐えられるとは思えないからだ。しかし、身近なものに目をやれば愚生の周りにも不思議なことなどいくらでもある。以前、今は次男が住んでいる家の庭でバラつくりをしたことがある。美しいバラの花を見ると、どうしてこのような美しい立派な花が咲くのか驚かされる。また、小さな菜種から菜の花が育つ。小さなひまわりの種からも、愚生の背丈以上に育ち大輪を咲かす。自然の摂理など、何一つ理解できるものはない。そう思っていると、愚生宅に住むチワワがカミさんの帰宅を教えに来た。親ばかだが、賢く可愛いチワワちゃんだと改めて自慢したくなる。
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