スポーツ

2021年2月15日 (月)

「思春期を南海と共に」

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「おかえり!ノムさん 大阪球場(なんばパークス)に」プロジェクトは、故野村克也氏一周忌の3日後に、ニューアルセレモニーを開催した。愚生は、夜になってアップされたユーチューブで式典や「なんばパークス記念館」を動画で見学した。野村克也の遺品は、キャッチャーミット、ユニフォーム、ノック用バット、4017塁打(当時の日本新)&44号本塁打(当時のパリーグ新記録)などが展示されていた。今後、支援者には返礼品を送るというから楽しみにしたい。愚生が南海ホークス記念館を見たのは初めてだった。しかし、今回のリニューアル以前の展示は、ずいぶん地味な記念館だったようだ。パネル展示や古くなった優勝ペナント、メッキが剥げた真っ黒いトロフィーなどしかなかったのではないだろうか。福岡ソフトバンクドームにある「王貞治ベースボールミュージアム」と比べずいぶんと貧弱な記念館だったのだろう。今回、プラズマディスプレイで何本かの過去の南海ホークスや大阪球場を紹介する動画が加わった。しかし、世界を相手の「ソフトバンク」と大阪~和歌山を走るローカル電車を運営する「南海電鉄」の資金力の差は、あまりにも大きく感じる。愚生の眼には、熱烈に応援していた金欠「南海ホークス」に相応しい。愚生の眼には、金欠「南海ホークス」に相応しいと思えた。野村克也の名言「王や長嶋はヒマワリ。私は日本海の海辺に咲く月見草だ」という言葉が実感できる。国民栄誉賞の王貞治にくらべれば、野村克也は月見草という例えに納得できる。愚生も何が縁か、「南海ホークス」などを応援したために、皆の話題から外れて辛い思いをしたことは多かった。大阪に縁も所縁もない北陸で、南海ホークスを応援するなど、自分自身に呆れていた。同じ大阪なら、せめて阪神タイガースを応援すべきだった。何度も選択の過ちを悔んだが、最初に惚れた女から逃れられないのと同じだ。思春期は「南海ホークス命」という感じの熱烈なファンだった。雪深い北陸で南海ホークスの帽子をかぶり、南海ホークスのヘルメットまでLRTの中で着用していたのは愚生だけではないだろうか。今なら恥ずかしくて出来ない。せいぜい、夏に南海ホークスのビジターユニフォームを上着代わりに着て、場末のスーパーマーケットで買い物をするくらいだ。東京では、南海ホークスのビジターユニフォームなど知る人はいない。ところで、南海記念館の中にある鶴岡・杉浦・穴吹・門田・広瀬・大沢(親分)・柏原・香川・ブレイザー・江本・江夏・山内・佐藤道夫と懐かしい名前がパネル展示で続く。また、リニューアル記念には、56名の支援者名も小さなプレートに飾られているはずだ。愚生の名前には「思春期を南海と共に」と添えた文字が刻んであるはずだ。何時か機会があれば、死ぬまでに一度は南海記念館に行ってみようと思う。

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2021年1月14日 (木)

選抜大会は無観客で開催すべきだ

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武漢ウイルスの感染拡大の中、日本高野連は、今春の選抜高校野球大会(3月19日から13日間、甲子園球場)を有観客で開催すると発表した。プロ野球でもない高校野球を感染拡大地域に含まれる甲子園球場でやる必要があるのだろうか。そもそも3月までに武漢ウイルスの感染拡大が収まる見通しはなく、高校生や大会関係者がワクチン注射をする余裕もない。関西3府県に人の移動を抑える緊急事態宣言が発令中に大会開催など呆れてしまう。高校球児のためだというなら、無観客で開催するべきだろう。武漢ウイルスの感染拡大の収束が見通せない状況で、組み合わせ抽選会はリモートか代理で行うという。いずれにしても、感染対策というなら無観客で開催すべきだ。ただでさえ、高校の休校で時業日数が不足しているのに、一・二年生には補修授業を行う必要はないのだろうか。本末転倒の高野連の商業主義には呆れてしまう。平生、政府に批判的な毎日や朝日新聞が主催者というから、ご都合主義もいい加減にしろと言いたい。支那・朝鮮の提灯持ちのマスメディアは、日本を武漢ウイルスで埋め尽くしたいのかと言いたくなる。ところで、昨日の東京株式市場で、日経平均株価は大幅に4日続伸し、前日比292円25銭(1・04%)高の2万8456円59銭で終えた。上げ幅は一時340円に迫った。株価の上昇理由は、色々挙げられてはいるが、不景気の株高だろう。なかでも、高速通信規格「5G」をはじめとする市場拡大で需給逼迫が見込まれるなか、半導体関連株は上昇が目立った。愚生は日本株への投資は、一部を除いてオリエンタルランド以外にはしていない。その中で、ずいぶん前に買った(6501)日立や(8411)みずほには、未だに含み損がある。どうでもよいと放置しているが、原子力事業でのリストラが足を引っ張るのだろうか「日立」の低迷には失望する。これなら(6702)の富士通でも買っておけばよかったと後悔する。愚生が日立株やみずほ株を買った頃は、売買株単位がバラバラだった時期だ。その後、誤発注対策で売買単位を、100株に統一した。日立は5株を1株、みずほは10株を1株に纏めた。日立製作所やみずほ銀行には、倒産はないと信じて買ったのだから、各社の経営者には頑張ってもらいたいものだ。株価は上昇するが、自分の持株だけは上がらないということは、よくある話だ。愚生の場合は、当にそれだ。

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2021年1月10日 (日)

野村克也のクラウドファンディング4,000万円達成

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野村克也さん(享年84)の南海ホークスメモリアルギャラリー(大阪球場跡地「なんばパークス9階」)のクラウドファンディングがあと一日と迫った。野村克也の一周忌に合わせ、彼が選手として輝いたなんばの地にノムさんの名前を刻む資金だ。発起人は、昭和四十八年にパ・リーグ優勝した時のエース江本孟紀だ。当初は、2000万円を目標にスタートした。しかし、早々にクリアしたため3000万円にして、ギャラリーの外装をリニューアルを目標とした。
【当初2000万円では】
①パネルを一新し野村克也氏の名前を残す
②ガラスケースを追加し南海時代の野村氏を偲ぶ展示物を飾る
③館内で放映するVTRも新たに制作します
【ネクストゴール3000万円では】
①ギャラリーの外装をリニューアル!
 野村克也氏はもちろん、南海ホークス、大阪球場を偲ぶことができるように一新。
②館内放映用VTRの追加制作&映像スイッチング機器の導入
 当初予定の1作品だけでなく、
 1.「野村克也ヒストリー」
 2.「栄光の南海ホークス」
 3.「さようなら大阪球場」
 4.「南海ホークスの歌特別版 アニメバージョン」
の計4作品を制作するという。
さすがに、「皆様本当にありがとうございます。次はネクストゴール を目指します!ネクストゴールを達成いたしましたら、思い出に残る『記念品を支援者全員にプレゼント』いたします!!ぜひ最後まで応援お願いいたします!!」というアナウンスがあった時は、とても日数的に4000万円までは無理だと思った。しかし、一日を残して、
現在の支援総額
40,048,000円
200%
支援者数
2014人
とあるから楽々達成した。愚生が思ったより、数多くの人々から寄付金がされたようだ。野村村克也のクラウドファンディングで、彼だけでなく大阪球場を偲ぶ南海ホークス全体のリニューアルが実現できそうだ。過去の因縁から、野村克也の原点ともいえる南海ホークスを振り返る展示施設「南海ホークスメモリアルギャラリー」(大阪球場跡地・なんばパークス9階)に彼の功績は残されていないことが不自然だった。愚生もミスター南海の野村克也の名がない南海ホークスなどありえないと苦々しく思っていた。愚生が思うに、歴代の首相が何故か野村克也に「国民栄誉賞」を贈らなかったのが解せない。過去にヤクルトや阪神、楽天の監督の時代もあった選手・野村は、王、長嶋と並び、日本球界を代表する大打者の一人だ。そしてプレーヤーとして彼が実績を残したのは南海ホークスだった。愚生は、野村に贈らずに長嶋や松井へ国民栄誉賞を贈った安倍晋三元首相には未だに納得がいかない。野村の生い立ちは、遠藤実さんほど深刻ではないが、大変だったようだ。京都府網野町(京丹後市)に生まれ、病弱の母と兄との暮らしは苦しく、早朝の新聞配達や子守り、アイスキャンディー売りなどで家計を支えたという。そして、中学卒業後は働いてほしいと願う母を、兄が説得し、峰山高に進学した。そして、1954年、テスト生として南海ホークス(現ソフトバンクホークス)に入団したことが始まりだ。1965年には戦後初の三冠王に輝いている
★選手成績
通算3017試合、打率.277、2901安打、657本塁打、1988打点、三冠王:1度、MVP:5度、本塁打王:9度、打点王:7度、首位打者:1度、ベストナイン:19度
★監督成績
通算3204試合、1565勝1563敗76分け、勝率.5003、リーグ優勝:5度(南海1、ヤクルト4)、日本一:3度(ヤクルト3)

 

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2020年12月18日 (金)

目標金額「20,000,000円」の93%が集まった。

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令和2年2月11日に急逝した野村克也(享年84)の名は、南海ホークスメモリアルギャラリー(大阪球場跡地「なんばパークス9階」)にはない。野村克也の名前がない理由は、本人の不徳の致すところだからしょうがない。野村の死後、残された家族と南海ホークスのわだかまりが溶け、資金集めのクラウドファンディング行われている。一周忌に合わせて、野村克也が選手として輝いた難波の地に名前を刻みたいという。
「おかえり!ノムさん 大阪球場(なんばパークス)に。」と名売ったプロジェクトは、南海ホークスでバッテリーを組んだ、江本孟紀が発起人として立ち上げた。古い南海ファンだった愚生は、残存する南海ファンなどは、金のない年金生活者ばかりだろうと思って、立ち上げ当日にできるだけ寄付をした。11月11日に始まったクラウドファンディングも残すところ、24日になった。
現在の支援金総額
18,667,802円
目標金額「20,000,000円」の93%が集まった。残り24日で93%だから、楽々達成しそうな額になった。これほど集まるなら、愚生が無理をして寄付をすることはなかったと思う。愚生が応援した頃の南海ホークスは、野村がプレーイングマネジャーとして監督を務めていた。そして、そのころの球団は万年金欠病だった。南海電鉄は、正式には南海電気鉄道株式会社という会社で、大阪の難波と和歌山・関西国際空港・高野山などを結ぶ鉄道会社だ。公共企業だから、野球が赤字でも運賃値上げで補填することはできない。運賃を上げる前に、赤字球団を清算するのが筋だった。そういう理由もあって、西鉄、近鉄、阪急、南海と人気球団の阪神と西武以外は、すべて他企業に売却された。南海電鉄も球団経営を止めて、19億円でスーパーのダイエーに売却した。愚生も南海ファンなどにならなければと何度も悔んだ。同じ応援するなら、近くのセ・リーグ人気球団だった「阪神タイガース」の方が良かった。南海ホークスとは無縁の北陸地方だったため、野球帽を作るにも一苦労だ。南海の帽子など店頭では売ってもいないし、スポーツ店の店員もしらない。そのため帽章の形を説明して特注で作ってもらった。愚生の生れ故郷は、王貞治さんのお母さんの出身地で、読売新聞の正力松太郎の出身地でもあったから、ほとんどが巨人ファンだった。そういうわけで、南海ファンだというと変わり者か、天邪鬼な人間だと見られた。野村克也は月見草だと卑下したが、北陸では野村の名前を知っている人さえ少なかった。晩年、野球の解説者や監督で活躍したことで、今は多くの人が知っているだろう。しかし、南海ホークスの監督を解任されたころは、貧乏な弱小球団だった。他チームでお払い箱になった給料の安い選手を集めた球団では、初めから勝てる気はしなかった。その中で昭和48年に、パリーグ優勝をしたことは、フロックではあったが誇れることだ。それを最後に、球団として存続はしていたが優勝争いに加わることはなかった。ファンがいなければ、大阪球場は閑古鳥だ。静かでデート場所には、好都合だと言われていたようだ。しかし、その不人気球団の南海ホークスではあったが、野村克也はキャッチャー四番で活躍していた。当時のユニホーム姿の野村克也は頼もしかったが、背広を着てからの愚痴が多く女々しい性格にはとても好きにはなれなかった。そういう南海ホークス時代の野村克也さんだったが、クラウドファンディングに多くの寄付金が集まったのは意外だった。

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2020年11月27日 (金)

小早川氏が提案する1リーグ制

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愚生は今年の日本シリーズを観戦してセ・パのリーグ格差が広がっていると思った。これは愚生に限らず、多くの野球ファンが思っているだろう。なぜなら、最近10年の日本シリーズでパのチームが9度制覇した。うちソフトバンクが7度の日本一に輝いている。パが実力でセを完全に凌駕していることは、勝敗からも周知の事実だろう。その大きな要因となっているのが、ドラフト戦略だといわれる。ソフトバンクのスタメンには育成出身が4人(千賀、甲斐、周東、牧原)もいた。一方、巨人はスタメンに育成出身は松原だけだ。どうも、スカウティングや育成の違いがあるという。ソフトバンクは強い体でバットを強く振れる選手や強肩・快足などの一芸に秀でた選手を獲ってきた。パ・リーグはDH制があるため、野手はスケール感の大きな打者をどんどん獲る。投手についても、そういう打者に対抗できるボールの強さを持つ選手を獲る傾向が顕著だ。巨人が主張した希望枠は、2007年に廃止されたため選手獲得の不均衡は解消されている。今のメンバーで、巨人志望で浪人をしたのは菅野だけだ。それも菅野の母親が巨人・原監督の妹という親類関係だった。そのため、菅野の希望というより、故人になった爺さんの意志で浪人したようだ。そのため、2007年からはドラフトで巨人優位という構図はない。パのスカウトは「DH制のパは守備に目をつむって打力優先で獲得できる。セは守れることが大前提。守備力が優先になる」と指摘する。要するに、投打にパワー系の選手を優先するパと、攻守の総合力で選手を獲得するセという構図だ。その結果が、ここ10年間のリーグ格差を生んだのだろうか。選手として広島で3度、ヤクルトで1度日本シリーズに出場した小早川毅彦氏はセ、パ両リーグの実力差が言われる中、1リーグ制の導入を提案する。最高峰の戦いの位置づけのはずが、ソフトバンクは2018年(対広島)の第3戦から12連勝だ。そう考えると、23日に発表された沢村賞などの選考は問題だ。何故なら、セの大野雄が初受賞したが、数字だけしか比較していないからだ。パのタイトルホルダーであるソフトバンクの千賀やオリックスの山本は、レベルが高いパ・リーグで残した数字であることが考慮されていない。極端な話、メジャーリーグとNLBの数値比較など意味はないのと同様だ。さらに小早川氏は、ファンからすれば「こんなに実力差があるのに、なぜセの試合にパの試合と同じような料金を払わなければならないの?」との文句まで出るという。しかし、好きな球団を応援するのだから、愚生はそこまで言う気はない。巨人・原監督は昨年から、パと同じDH制の採用を提唱している。単純に打線は強力になり、相手にする投手のレベルも上がるだろう。リードされた状況で投手に打順が回ってきて代打ということはなくなるからだ。メジャーリーグに行って、活躍した先発投手をみれば、パ出身では、ダルビッシュ、田中将大、松坂大輔、野茂英雄、大谷翔平、岩隈久志、菊池雄星などの名が浮かぶ。セでは、前田健太や黒田博樹くらいだろうか。ノーヒットノーランを記録した野茂や岩隈を考えれば、活躍度では圧倒的にパ出身の投手陣だ。小早川氏が提案する1リーグは、12球団を4つずつ東、中、西の3地区に分け、対戦は12球団総当たり。ポストシーズンには各地区を制した3球団と、2位以下の勝率上位2球団によるワイルドカードゲーム勝者の計4球団が進出するというものだ。米大リーグのリーグ優勝決定シリーズに似ている。ルールは、全試合でDH制を採用し、全球団総当たりだそうだ。面白いと思うが、過去に勝手な要求をしてきた巨人が納得するだろうか。

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2020年11月26日 (木)

セとパの力の差を感じる

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昨日は、野球の日本シリーズ2020と川崎フロンターレvsガンバ大阪戦を、チャンネルを切り替えながらテレビ観戦した。愚生は酒を飲みながらだが、どちらも優勝が懸かった試合だったため、当事者は必至だったろう。ソフトバンク・ホークスvs巨人は、圧倒的な強さでセ・リーグを制した巨人が、2年連続でソフトバンクに屈辱的な4連敗を喫した。2010年以降、セの覇者が日本一に輝いたのは、2012年の巨人だけだ。ソフトバンクの強さと、セとパのリーグ間の力の差を感じる。しかし、球界の悪の根源といえる巨人を叩き潰したことは痛快だ。昨年と同様に今年の日本シリーズも、ソフトバンクの4連勝でアッという間に終わった。選手の能力も層の厚さも桁違いで、ソフトバンクの強さばかりが際立った。巨人の選手がひ弱に見えて、とうてい勝ち目がないような気がした。セ・リーグを独走で優勝した巨人が、これほど弱いのでは2リーグにする意味はない。サッカーのように上位下位の入れ替え制にするのも一考だ。今季はコロナの影響で変則的なシーズンになった。それにもかかわらず、ただでさえ弱いと言われるセがCSを導入しなかった。そのため、巨人はぶっつけ本番のような形の日本シリーズだった。やはり、DH制の導入がパ・リーグのレベルアップにつながっているような気がする。セでは速い球を投げる投手そのものが少ないという。そうであれば、日本シリーズはパ・リーグのチームの独壇場として今後も続く可能性が高い。一方、優勝手前で足踏みをしていた川崎フロンターレは、G大阪を5―0で下した。家長のハットトリックなどで5得点を取り圧勝した。今期は圧倒的な強さを発揮して、4試合を残しての史上最速の優勝を果たした。これで、川崎Fは2年ぶり3度目のリーグ制覇だ。20年前の弱った頃のフロンターレと隔世の感がある。当時、夏休みに子供たちを連れて、等々力競技場へ観戦に行ったことを思い出す。J2の試合で、水戸ホーリーホックにやっと1-0で勝った試合だった。水戸は貧乏チームだったせいで、小雨の中を数名の応援団が声をからして応援していた。その弱かった川崎Fも、今は常勝チームとなった。リーダーの中村憲剛を長期間欠いた中で、あっぱれとしか言いようがない。ただ、サイバーエージェントが買収した町田ゼルビアは今期もJ2の下位に沈んでいる。藤田さんが真面目に補強しないのであれば、街から出て行けといいたくなる。

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2020年11月18日 (水)

野村の教え子と呼ばれる人は多い

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今週末からの日本シリーズは、巨人-ソフトバンクと決まった。江本孟紀は「妥当な顔合わせになったね。短期決戦は監督勝負。原監督VS工藤監督の采配が最大の見どころになる。さあ、そこで思い出すのは、かつての南海(ソフトバンクの前身球団)で、野村監督がとった作戦だ」と思い出を懐かしむ。愚生も50年くらい前を同様に思い出した。1973年のパ・リーグは、前後期制の優勝チームが対戦する形式のプレーオフがあった。この年は、前期優勝は、南海ホークス、後期優勝は阪急ブレーブスだった。その後期、南海vs阪急の対戦成績は、0勝12敗1分けだった。そこで野村の取った作戦は、全くレギュラーシーズンとは違う戦い方をした。1・3・5戦だけに注力して、初めから2・4戦を捨てゲームにした。そのため、投手起用をレギュラーシーズンとがらりと変えた。当時、南海のエースだった江本孟紀は、第1戦でクローザー、第3戦で先発完投勝利、第5戦でまたクローザーと活躍した。そして、野村克也の計算通り3勝2敗で日本シリーズへ進出をもぎ取るという、伝説的な短期決戦だった。むろん、日本シリーズの巨人戦では戦力の違いから1勝4敗と完敗した。奇策ではあったが、野村克也の采配が冴えわたった。この時の阪急の監督は、「悲運の名将」と呼ばれた西本幸雄監督だった。20年間の監督生活で8度のリーグ優勝を果たしながら、日本シリーズでは1度も日本一に就けなかった。ただし、西本監督は、3つのチームを優勝に導いた。それを成し遂げたのはプロ野球史上では、過去に西本、三原脩、星野仙一だけだ。三原監督が指揮したのが、1リーグ時代の巨人とセ・パ両リーグから1チームずつ(西鉄・大洋)、星野がセ・リーグの中日・阪神とパ・リーグの楽天だった。それに対し、西本監督が指揮したチームはすべてパ・リーグであり、現役時代も含めてパ・リーグ一筋の野球人生だった。野村克也に話は戻るが、ヤクルトの監督としても日本一が3度ある。そして、現在の球界には野村の教え子と呼ばれる人が多く残っている。現役ではヤクルト・高津臣吾、日本ハム・栗山英樹、楽天・三木肇、西武・辻発彦、中日・与田剛、阪神・矢野燿大の6監督のほか、日本代表・稲葉篤紀監督が教え子にあたる。そして、江本は「だからこそ、今年の日本シリーズでは、野村さんをしのびながら観戦することも、楽しみ方のひとつだと思うんだ。監督としてだけでなく、戦後初の三冠王になるなど、選手としても偉大だった。そこを再認識してもらいたいね」という。ところで、野村克也監督のクラウドファンディングは、現在の支援総額【8,374,722円、41%】となり、目標金額は20,000,000円に近づいてきた。残り、54日となったが、このぶんなら達成しそうな勢いなので一安心だ。

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2020年11月12日 (木)

南海ホークスメモリアルギャラリー

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南海ホークスを振り返る展示施設「南海ホークスメモリアルギャラリー」(大阪球場跡地・なんばパークス9階)には野村克也の功績が飾られていない。原因は、野村監督が南海の監督時代に、サッチー絡みの公私混同で解任されたためだ。その怨念か、野村監督は緑色のユニホームは嫌いだと言っていた。緑色は南海ホークスのチームカラーだ。幼いころからの南海ホークスファンだったせいで、愚性が一番好きな色はチームカラーの「くすんだ緑」だ。展示がないのは過去の経緯が尾を引いて「南海ホークスメモリアルギャラリー」に野村自身の名前を出すことを拒否していたからだ。多くの人は、野村克也がプロ野球の名監督としては知っている。しかし、若い頃の選手時代を知る者は老人しかいないだろう。愚生の小さい頃は、南海の四番バッターといえばキャッチャー野村だ。そして、監督は鶴岡監督、一番はセンター広瀬、二番セカンドブレイザーという思いだ。過去にピッチャー杉浦やスタンカがいた頃が南海ホークスの全盛だったろうか。野村が選手兼監督になるころの南海は、鉄道会社の景気も悪かったのだろうか、金がなく弱小チームになり下がっていた。そのせいで、当時の野村監督は選手の再生処理工場といわれていた。他のチームで戦力外の選手を集めて再教育して鍛えていた。東映フライヤーズ(日本ハムファイターズ)で芽の出ない選手の江本孟紀もその一人だった。その江本をエースに立てて、南海ホークスは昭和48年に最後の優勝を果たした。愚生も食堂で飯を食いながら、ラジオ放送の実況中継を聞いた記憶がある。ただ、選手の野村克也は好きだったが、あれほど愚痴の多い性格の人物は好きにはなれない。愚生の美学とは180度違うからだ。ただ、野村の独特な人の良さもあって彼のボヤキは、球界のみならずお茶の間でも多くの人に愛された。今回、南海ホークスでバッテリーを組んだ、発起人・江本孟紀が「おかえり!ノムさん」と言えるように、南海ホークスファンのためにクラウドファンディングを立ち上げた。それは、南海ホークスメモリアルギャラリーの中に、野村克也の歴史をいれる資金集めだ。熱い南海ファンだった愚性も、ファンドにお金が集まるか心配だったので、ユニホームは既に持っていたので記念品バットを購入した。カミさんにいうと、支援者プレートに名前を刻んだ方が良いのではという。心の中では、バットならヤフオクで転売できるので将来換金性はある。支援者プレートに名前を刻んだものは10万円の寄付金以外の何物にもならない。しかし、小学生から思春期にかけて、一心不乱に南海ホークスを応援した愚生の証にはなる。あの当時ほど熱く、スポーツチーム応援をしたことは、その後なかったからだ。燃え尽き症候群なのだろうか、関係が深い川崎フロンターレや町田ゼルビア、そして後継のソフトバンク・ホークスへの応援にもそれほど熱は入らない。あの熱い日々はもう帰って来ないのは、歳のせいかもしれない。愚生自身は、野村克也というより、「南海ホークスメモリアルギャラリー」をあるべき姿にしたかったことが寄付の動機だ。アンチ・ジャイアンツの愚生は、巨人の王、長嶋と並び、日本球界を代表する大打者の一人である野村克也が、日本のマスメディアに評価されていないことに不満を持っている。
1935年6月29日 京都府網野町(現:京丹後市)で誕生
1954年 テスト生で南海(現:ソフトバンク)に入団
1956年6月17日 西鉄戦(大阪)に代打でプロ初出場
1957年 初の本塁打王(30本)
1963年 プロ野球シーズン最多記録(当時)の52本塁打
1965年 戦後初の三冠王を獲得
1969年11月5日 捕手兼任監督に就任
1972年9月28日 阪急戦(西京極)で史上初の550号
1973年10月24日 監督として初のリーグ優勝
1977年9月28日 南海ホークス退団 
1978年 ロッテへ移籍
1979年 西武へ移籍
1980年8月1日 南海戦で史上初の通算3000試合出場    
1980年11月15日 45歳で現役引退を表明
1989年 野球殿堂入り
1989年10月19日 ヤクルトの監督に就任
1992年10月10日 セ・リーグ初優勝
1993年11月1日 西武を破り、監督として初の日本一
1998年10月25日 阪神の監督に就任
2002年 社会人シダックスの監督兼ゼネラルマネージャーに就任
2005年11月 楽天の監督に就任
2009年10月24日 楽天の監督を退任。名誉監督に就任
2020年2月11日 虚血性心不全のため、84歳で死去
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★選手成績
通算3017試合、打率.277、2901安打、657本塁打、1988打点、三冠王:1度、MVP:5度、本塁打王:9度、打点王:7度、首位打者:1度、ベストナイン:19度
★監督成績
通算3204試合、1565勝1563敗76分け、勝率.5003、リーグ優勝:5度(南海1、ヤクルト4)、日本一:3度(ヤクルト3)
なんばパークスはかつて大阪球場。その大阪球場を本拠地に活躍した球団「南海ホークス」の50年の歴史を振り返る特別ギャラリーとして、功績を伝える貴重なアイテムなどを展示している。日本一2回、リーグ優勝12回という南海ホークスの栄光が蘇る施設となっているそうだ。

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2020年3月 5日 (木)

出場選手にPCR検査を義務づけ

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高野連は無観客で、春の選抜高校野球を強行するという。大会期間中の感染予防対策については、試合後の選手へのインタビューは、無観客のスタンドを利用して行う。選手には移動の際にマスク着用を義務づけ、球場外でもファンが接触できないように規制する。また、宿舎での食事はビュッフェスタイルではなく、個人個人とする。ただ、これまでの決定に感染症の専門家の意見は聞いていない。その理由は、「専門家に聞いても、終息に向かうのか読み切れていないので判断を延ばさせていただいた。今日の時点で専門家の意見だけで中止と決められなかった」という。この高野連という組織の運用を実質的に掌握しているのは、4名の最高顧問だ。その中には、朝日新聞社代表取締役社長と毎日新聞社代表取締役社長の名前がある。歴代の最高顧問にも、夏の甲子園を主催する朝日新聞社の現役社長と、春の甲子園を主催する毎日新聞社の現役社長が必ず指名される。そして、高野連は高体連(全国高等学校体育連盟)には所属していない。また、高野連副会長4人の中にも、元朝日新聞名古屋本社代表とか朝日関係者がごろごろいるという。どうも公益団体というが、名ばかりの商業主義的な組織団体だ。高野連は、高校野球は高校球児の教育の一環だ。無観客でも、できる限り生徒に甲子園を体験させたいという。しかし、他高等学校の競技や修学旅行、学校のイベントがすべて中止している。プロの興行でもない高校野球を、この事態に決行する必要があるのだろうか。全国高校野球甲子園大会とは、朝日や毎日新聞・テレビというマスメディアが利用しているのだけではないのかと疑問に思う。現在は、安倍首相の要請により部活動を自粛している出場校もある。武漢ウイルス対策に協力する高校が不利になるとは皮肉ではないか。また、試合は無観客でも、選手は宿舎で一緒に生活する。1人が感染すれば周囲に広がってしまう。高野連に対する問題はこれまでも多々ある。例えば、応援への干渉だ。エイサーの衣装で応援に駆け付けた者達が、「奇異」や「華美」だとして連盟から自粛を求められたという。沖縄の民族衣装の何が問題なのだろうか。平成13年大会では、田中康夫長野県知事が県のマスコットの着ぐるみを連れてきたが、それを中止させた。平成11年の大会では、優勝した沖縄尚学高校のユニフォームに「文武両道」の文字が入っていた。高野連は「好ましくない」として同校はユニフォームから「文武両道」の文字を外させた。いずれにしても、何か全国高校野球甲子園大会を、私物化して好き放題に干渉している気がする。仮に今大会を強行するなら、出場選手にPCR検査を義務づけるくらいはしなければならないのでは。

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2020年2月14日 (金)

飾らなく義理堅い性格が共感を呼ぶ

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ここのところ、84歳で亡くなった「野村克也さん追悼番組」の放送予定が多い。野村さんの番組が多いのは、やはり視聴率が上がるからだろう。それだけ、人気もあり多くの人からも愛されていたのだろう。あのキツイ性格で美人でもない佐知代夫人を愛する姿から、多くの女性ファンからの支持も強い。確かに、美人や性格の良い女性は、そうそういるはずはない。やはり、ブスで性格が悪くても、一心に野村克也にそそぐ愛情に応える姿が女性には好感なのだろう。しかし、愚生の場合は南海ホークスの古いファンという事で、彼の現役時代が好きである。一方、愚生は野村氏の女々しい性格と潔くない言動は、南海を退団してから知った。愚生が好きなのは「尺進あって寸退無し」という将棋の原田康夫八段の座右の銘だ。しかし、こういう攻め将棋を指していたが、現役時代の原田八段は、一時期は大山康晴、升田幸三に次ぐ実力者だった。攻撃的な棋風は、おだやかな人柄と全く相違していた。愚生は、人生には美学が必要だと思っていた。なぜなら、愚生がサラリーマン時代に、部下には偉そうに言っていた肩書のある輩が、自らの退職時には往生際が悪く、会社に苔のようにしがみ付いて恥をさらした。その姿を見てきた愚生は、疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如しと「風林火山」を憧れた。そのせいで、野村氏の性格はとても受け入れがたいものだった。ただ、多くの人に好かれ惜しまれる姿は、羨ましい限りだ。そして、飾らなく義理堅い性格が多くの人の共感を呼ぶのだろう。愚生もさっそく追悼番組のビデオ予約をした。ところで、新コロナウイルスは今後どうなるのだろうか。維新を除く野党は、馬鹿の一つ覚えで安倍首相の「桜の会」を追求する。ほかに、審議することはないのかと言いたくなる。立憲民主党などは、朝鮮の提灯持ちなのと言いたくなる。

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