ペット

2021年2月20日 (土)

子犬のためにも長生きしたい

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愚生宅に来た子犬(スムチ)は、うんちやおしっこに関してはすぐに覚えた。しかし、「お座り」や「待て」はなかなか覚えてくれない。子犬に言わせれば、何故その必要性があるのかという目をする。愚生が犬を飼うのは、子供のころから数えれば七匹目になる。ただし、田舎暮らしの時は親が世話をしていたことも多かったから、愚生が飼っていたとは言い難い。上京して自分で飼った犬となると、これで二匹目だ。田舎と違って、都会では部室で飼うため犬とのコミュニケーションは多くなる。田舎では、柴犬やジャーマンシェパードのような使役犬だった。前に飼った犬は、ラブラドルレトリバーで盲導犬にもなる犬種のため躾は簡単だった。今回のチワワは愛玩犬のせいなおだろうか、飼い主のいう事を素直に聞かない。爺と婆と自分しかいないため、本人は犬だという意識はないのかもしれない。いろいろな愛くるしい声を出して、こちらを自由に操っている。愚生も悪戯をしても、全く罪悪感を持たない子犬の顔を見ると真面目に怒る気にもなれない。ブリーダーで生れ、幼い頃に親離れして、ペットショップの狭いケージに入れられた。そして、愚生宅に奴隷のように売られてきた経緯を辿れば、幼いのに大変だったと同情する。多少羽目を外しても、不遇を考慮すれば大目に見てやりたい気がする。子犬だからと言っても、我が子と同じに愛おしい。いや、口答えしない分、子犬の方がより親密かもしれない。いずれにしても、子犬が来てからは老人二人の家庭がパット明るくなった。そして、話題の中心は常に小犬君になってしまった。余命はどのくらいあるのかは知らないが、子犬のためにも長生きしたいと思う。そうでなければ、十分な持参金をつけて犬の愛好者に引き取ってもらうしかない。

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2021年1月15日 (金)

小さな子犬だが頭が下がる思い

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朝から子犬と遊んでいると、いろいろなことが思い浮かぶ。愚生宅に来て、もう1月半になる。八月初旬が誕生日というから、40日くらいでペットショップに売られた。その後、陳列棚に入れられていた生まれて2週間くらいは、子犬は目が見えず、耳もきこえないというから、親の顔など覚えていないだろう。気が付いた頃には、狭いショーケースの中にいたことになる。本人は周りの世界がどうなっているかなど知る由もない。可哀そうだと月並みな言葉しか出てこない。愚生宅は子供たちが独立したため、老夫婦2人きりの家だ。子犬にとっては遊び相手がいなく不満かもしれない。しかし、亀の甲より年の劫ということもあり、これまで犬や猫を何匹も飼った。そのため、多少は犬の気持ちが理解できる。庭先に鎖でつながれて、吠えている犬をみると気の毒だ。犬は群れ社会の習性のため寂しがり屋だ。家族の一員として扱って、家の中に住まわせなければいけない。その辺の事情は熟知しているので、子犬もきた早々は遠慮がちだったが、徐々に我が物顔に振舞うようになってきた。以前に飼っていた犬は45キロもある大型犬だったので、制御不能になったら困ると思い厳しく注意した。しかし、今回は超小型犬のスムチ(スムース・チワワ)のため、ついつい甘くなる。小さい体のため吠えていても声が甲高い。唸っても可愛く聞こえてしまう。本人は子犬のため、程度が判らないのだろうと思い何をしても腹など立たない。それよりも、犬として奴隷のように売り飛ばされて来たことに同情するから、愚生宅に来て良かったということにしたい。昨日も痛そうに泣いたので、獣医さんに行ってレントゲンを撮ってもらった。異常はなかったが、保険が効かないため随分と高額な費用だった。それでも、飼ってしまえば犬も我が子も区別はなく愛おしい。親に口答えしない分、子犬の方がましかも知れない。年老いて若者と付き合うことがなかった老夫婦にとって、幼い犬との付き合いは、毎日が新しいことの発見だ。研究では、犬とその飼い主が互いに見つめあったときに、人の体内で脳下垂体から「オキシトシン」というホルモンが分泌されるという。オキシトシンには、心を癒やしたり、体の痛みを和げたりする働きがあるという。犬と見つめあったときに人間の体内のオキシトシンは3倍以上に増加するという。さらに、犬の側にもオキシトシンが分泌されているという。愚生の癒しに大きく貢献していると思うと、小さな子犬だが頭が下がる思いだ。

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2021年1月 1日 (金)

子犬には「原罪」がない

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 今日は元旦、新しい気分で迎えたいと思う。しかし、愚生のような高齢者ともなると、あと何回迎えることができるのかと不安になる。年賀状を交わす相手も徐々に減っていく。そして、やたらと喪中ハガキが多くなる。年賀状は必要がないと言うが、相手が生きているかの確認のためには都合がよい。平生から交流があれば、メールのやり取りで用済みだ。しかし、愚生のような田舎を捨てたお上りさんは、親戚や近所付き合いでお世話になった人にも年賀状を出している。施設に居るお袋の様子など知りたいとは思わないだろうが、愚生が代わりに近況を報告している。最近の武漢ウイルスの感染拡大で、無駄なものは経費削減の対象になるのだろうか。購買力の低下から、年賀状が売れないという話しを郵便局員から聞いた。愚生の場合は、お袋に頻繁にハガキを出すため、未だにインクジェットプリンターが一年中稼働している。さすがに93歳にもなった母は、耳が遠く電話連絡もできないため、ハガキで便りを伝えるしか手段がない。愚生の息子たちも家を出た後は、めったに父親には連絡をしてこない。息子たちは母親が話しやすいのだろうか。そういえば、愚生も親父は単身赴任で家にいなかったこともあって、母親と話す機会が多かった。何時まで経っても、愚生も乳離れしなかったことを思いだす。愚生とは損な立場だとつくづく実感する。それに引き換え、最近家に来たチワワは、愚生に対する差別的な対応はない。血は繋がってはいないが、嬉しい限りだ。子犬は愚生の加齢臭が云々と嫌な顔もしない。実の子より、犬の子の方が自然と好きになってしまう。子犬には「原罪」がないからなおさらだろう。無邪気そのもので天使のようだ。犬の世話を何時までできるか不安にはなるが、終生預けることができる施設もある。最後はお金をためて、そういう施設にでも預けるのも一つの手だと思う。今日、明日と息子たち年賀の挨拶に来ると言うが、目当ては愚性ではなく子犬ではないだろうかと穿った目で見たくなる。昨年は無事過ごせたことを感謝しつつ、今年もそうありたいと願う元旦だ。

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2020年12月19日 (土)

子供と同様に愛おしい

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最近、愚生宅に子犬が来た。来たと言っても、愚生がペットショップから有償で連れてきたので、本人は不満かもしれない。加齢極まる老夫婦に飼われるのは嫌かもしれないが、犬の立場では断るわけにはいかない。奴隷制度(日本国の歴史ではない)があった古代・中世では、奴隷と称される人たちは大変だっただろう。まだ4ヶ月しか経ってない子犬が親から引き離され、ショーウインドウに住まわされることは可哀そうだ。そういう意味では、愚生宅に早く引き取って良かったと思う。愚生たちは老夫婦だが、過去に犬や猫を飼った経験もある。そして、今は子供たちも独立したため、身近の子犬以外に愛情を注ぐ者はいない。愚生は里親制度にも参加し、フィリピン人の子供に学資を仕送りしている。見返りは求めてはいないが、何人かの里子の中には貰って当然と返事の手紙もくれない。子供にも事情があるのかもしれないが、人それぞれだ。愚生自身も親から受けた施しを、授けてくれた両親ほどには感じていない。一方、愚生の母も私にとっては同様の態度だから、お相子だと思う。人は誰でも他人を見る目は厳しいが、自分には甘い気がする。小学生の担任は、いつも「他人にやさしく、自分に厳しく」と説教したが、その先生の身勝手さには呆れていた。マタイ福音書の山上の垂訓に【人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。】という一説がある。イエス・キリストの生きた時代も含めて、昔から人の評価は自分自身のものより、何時も厳しいようだ。連れてきた子犬も、二週間も経つと随分とリラックスして自分の要求を主張するようになる。まだ四カ月というのに、信頼しきって自己主張する様は立派なものだと感心する。当たり前だが、子犬と言っても自分の子供と同様に愛おしい。

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2020年12月 7日 (月)

終活として機会を大切にしよう

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愚生宅に新しい家族が来てから4日経った。若い命というものに触れて、生きとし生けるもののすばらしさを感じる。犬を飼うのは、2005年にラブラドルレトリバーが帰天してから15年になる。どちらかと言えば、犬好きの愚性だったが、カミさんの希望で猫のロシアンブルーを飼った。この猫ちゃんからも教えられることは多かったので感謝している。ただ、猫と犬はペットとして人気を二分するが、性格は対極のような気がする。愚生の育った田舎では、防犯用に犬を飼うことは普通だった。そういうわけで、愚生の幼少期から田舎を出るまで家には犬がいた。ジャーマンシェパードや柴犬を防犯代わりに継続して何匹か飼った。そのため、日常の犬の散歩は愚生の日課だった。飼っていた犬も、散歩をしてくれる愚生を好いていたようだ。悲しい時など、深刻な顔をして寄り添ってくれたことを思い出す。犬から見ても、よほど愚生が落ち込んでいるのが判ったのだろう。ただ、田舎で飼っていたと言っても、愚生が主体的だったのは二匹程度だった。他は家族で飼っていたため、当事者という感じで責任を持ってはいなかった。都会に出てからは、一応愚生が世帯主という事で自分が主体的に飼った。サラリーマン人生だったため、犬の相手をするのは土日だけで、平日はカミさんや子供たちが散歩をさせてくれた。愚生の犬というより、子供たちの友達という感じだった。ラブラドルレトリバーは、英国系の大きな犬だったが頭はよく、聞き分けが良いため躾など必要がなかった。こんな犬種がいるのかと驚かされた。今回愚生宅に来たスムース・チワワ(スムチ)も、4日程度で家に慣れてトイレも完璧にできるようになった。4ヶ月に満たないのに感心させられた。愚生は犬の表情や感情がはっきり見える方が好きなので、ロンチよりスムチを飼った。毛並みが逝ったラブラドルレトリバーとそっくりなのが気に入って、すぐに飼うことを決意した。年老いてからの子犬との人生は考えるところは多い。ただ忙しいサラリーマン人生の中で、ペットを飼ったと言ってもじっくり触れ合う機会は少なかった。そういえば、ペットだけでなく子育もカミさん任せだった。反省しても取り返しはきかない。しかし、今度は時間も暇もあるため正面から向かい合って付き合おうと思う。ペットと言っても、子供たちが家を出た老夫婦にとっては、唯一近くで触れ合える子宝だ。終活として、スムチと触れ合う機会を大切にしようと思う。

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2020年12月 4日 (金)

終活最後に出会った家族

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  昨日から家族が増えた。家族といっても出て行った息子たちが帰ってきたわけではない。ペットショップで購入した、スムーズ・チワワ(スムチと呼ぶ)を迎えに行ってきた。まだ、4ヶ月も経っていない小型犬のため、すいぶんと小さく見えた。新しい飼い主というか、主人への不安なのだろうか震えていた。愛くるしい目をしていて、賢そうな犬だが、不安で一杯なのだろう。犬を知らない家に飼われると、鎖でつないで可哀そうな人生を送ることになる。ラブラドルレトリバーやゴールデンレトリバーが、庭先の鎖につながれて吠えているのを見ると、その飼い主に無性に腹が立つ。犬の一生をこんな人物に委ねられた不幸に同情する。愚生とて、過去に何匹か犬を飼ったが誇れるほどのことは、彼らにしてやっていない。しかし、今回は犬の立場に配慮して、しっかりと付き合おうと思っている。終活最後に出会った家族だから、犬だとは毛頭思っていない。吠えたり噛んだりと、犬が問題になることはある。しかし、それらはすべて犬の責任ではなく飼い主の無責任と無知から来るものだ。昨日来たばかりの子犬だが、愚生の膝の上でぐっすりと寝息をたてている。その安心しきった姿を見ると、この子より長生きして面倒を見なければと責任を感じる

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2020年12月 1日 (火)

動物の方が人間より遥かに賢い

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月初めに、飼っていたロシアンブルーの猫が逝って寂しくなった。猫の顔を見たさに、ホームセンターのペット売り場に行った。あいにく、ロシアンブルーはいなくて興味は半減した。最近は猫ブームも去ったのだろうか、小犬種が多くなった。人気の一位はトイ・プードルで、二位はチワワだそうだ。どちらも老人向きで、散歩か楽な犬種だ。少子高齢化で、老人主体のマーケティングから小型犬が多くペットショップに居るのだろうか。子犬を眺めていると、ペットショップの店員が寄ってきた。子犬を抱いても良いという。犬好きなカミさんは、喜んでチワワを抱きたいという。店にいたチワワを抱きながら、目が離れていると小言をいうと、店員も器量が悪いから他店から廻ってきたという。愚生は犬を飼いたかったが、カミさんに「歳を考えろ」と反対されていた。そこで、もう一軒暇つぶしにペットショップにドライブしようと誘った。今度は、ホームセンターではなく全国チェーンの16号線沿いのペットショップに行った。さすがに、多くのワンちゃんがいた。その中に、チワワも三匹いた。ロングコートチワワとスムースチワワがいた。チワワは10数年前にテレビCMで大ブレイクしてから、人気を誇っている。日本では被毛の長いロングコートチワワの人気が高いという。しかし、愚生はつるんとしたスムースチワワの方が好きだ。後ろから見るとラブラドルレトリバーのクリーム色の背中に似ている。さすがに前顔は違うが、後ろ姿は愚生が飼っていたラブラドルレトリバーにそっくりだった。若ければもう一度ラブラドルレトリバーを飼いたいと思っていた。ラブは無理でも、スムースチワワなら何とかなるのではと思った。年齢を理由に、犬を飼うことに反対していたカミさんも、嬉しそうにチワワを抱いて可愛いという。このペットショップの子犬は、目も離れていなくて器量も良いし、賢そうにも見えた。愚生はカミさんに、今飼わないと誰かに行ってしまうと決断を促した。結局、愚生ら老夫婦は先々のことを考えずに飼うことになった。お互いに、相手さえ長生きすれば、何とかなると思っているのだろうか。亡くなったロシアンブルーには申し訳ないと思いながらも、自分勝手な愚生自身に呆れた。一旦、犬を飼う事に決まれば、反対していたカミさんは、名前は決めるし、ペット用品の註文を次々という。そして、自分の部室横に犬のケージを置くという。これまでもそうだったが、ペット自身は一番世話をしてくれる人に好意を持つようだ。そう考えると、世間を騒がして不倫騒動を起こす面々は、犬畜生にも劣ると言える。本質を見抜く動物の方が、人間より遥かに賢いような気がする。

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2020年11月 4日 (水)

愛するものを見送った後に聞く歌

昨日、15年近く飼っていたロシアンブルーが逝った。少し前から苦しそうにしていたので、可愛そうなため早く向側に逝って欲しいと願っていた。しかし、実際に亡くなってしまうと虚脱感というか、悲しくてやりきれない。骨壺を前に、香を焚いて気分を静めるが気が滅入る。親父が死んだときは、それほど悲しいとは思わなかったのが不思議だ。当時は、子育てと会社人間だった。そのためか、身内の悲報に感じ入る余裕さえなかったのだろうか。今は子供たちが連れ合いを見つけて家を去った後は、老夫婦と老猫の三人暮らしだった。そのため存在感の大きい老猫がいなくなると、人口密度が大きく減った気がする。老猫は夕飯の一時間前からテーブルに陣取っていた。そしてカミさんが持ってくる自分用の魚身が遅いと怒っていた。子供たちが去った後は、自分が一番だと悟っている老猫が我儘に振舞っていても可愛かった。老猫が新たに社会生活をするわけでもないから唯々可愛いがっていた。老猫の遺品を見ると思いだすので、不要になったキャツタワーやトイレキットなどは捨てた。消耗品というか、猫砂やヒルズの餌なども捨てようかと思った。しかし、手付かずの品なのでペイペイフリマに送料程度の価格で出品した。これで、もう決して猫は飼わないという決意を揺るがせないためにもすべて無くしたかった。前に飼っていたラブラドルレトリバーが亡くなった時は、まだ50過ぎだったため流石にそういう気にはならなかった。しかし、今回は自分の身の末も怪しくなってきたので、寂し行けれど身軽にすべきだと思った。昨日から「別れの磯千鳥」という歌を何回も効いている。母が好きでよく口ずさんでいた。愚生は、いい名づけだった母の彼氏が戦死したからだろうかと勘繰っていた。戦死しなければ、愚生は存在しないのだから微妙な立場ではあるが。しかし、愛するものを見送った後に聞く歌としては最適だ。

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2020年11月 3日 (火)

会うは別れの始めとは

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昨日、iPhone6sのバッテリー交換中に、バッテリーから発火した。バッテリーを少し曲げたのが原因のようで出火した。あっという間に、筐体の中のバッテリーが写真のように真っ黒になった。シャーシーも高温になったので、機器を完全に壊したと思った。まぁ2年くらい前に、型落ち品のiPhone6sを購入したため、簿価ゼロに等しいからと自分を慰めた。バッテリーは、何回も繰り返し使うことで劣化することは知っていた。しかし、劣化したバッテリーは内部ガスの逃げ場がなくなり、膨張現象が起こる。さらに、膨張したバッテリーにストレス(圧力)を加えると発火するとのことだ。今ままで、2回くらい自分でバッテリー交換をした時には問題はなかった。ネットで調べると、iPhoneのバッテリーは強い粘着剤で本体に貼り付けられている。そのため、バッテリーを無理やりはがそうとしたときに、バッテリーを傷つけて発火するというケースが多発しているという。当に愚生のケースだ。しょうがないので、発火した後のごみを取り除き、ダメ元でバッテリーを交換してみた。充電して使ってみると、問題なかったので儲けた気分になった。バッテリー交換時の火傷リスクが非常に高いのであれば、交換は自分でやらない方がよいと思う。今後はバッテリーのはがし方を理解している修理店に依頼しようと思った。自分のiPhoneはともかく、カミさんのものは修理店に依頼した。M市辺りの修理店では、2700円くらいだから自分で交換する費用と大差ない。ところで、15年近く連れ添った愚生宅のロシアンブルーが早朝に帰天した。部室飼いだったため、サラリーマンをしていた愚性より家にいる時間は長かった。本人は自分の住処に、愚生を置いているつもりだったようだ。死期が判るのか、何時もと違う場所に移動して死んだ。よほど痛かったようで、無口な猫だったが死に際は大声で泣いていた。カミさんがお腹をなぜてやると少しは楽なようで泣き止んだ。息子たちが家を去り、次に最後の息子だった猫にも旅立たれると寂しくなる。今日は友引だが、お寺では供養をしてくれるというので火葬を依頼した。この歳になると、後のことを考えれば、もうペットは飼えないと思う。「会うは別れの始めとは」という歌もあるが、別れる辛さを考えれば、もう一度生き物を飼う元気は起こらない。

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2020年10月31日 (土)

苦しそうな姿を見るのは辛い

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愚生宅には、やんごとなき血統を持つロシアンブルーがいる。暇な主人と共棲するロシアンブルーで、愚生や妻を顎でこき使う威厳を備えている。飼い主より遥かに血統は上であるし、誰がみても眉目秀麗だ。犬猫病院などに行けば、中年のお姉さんから「イケメン」だと声をかけられ、猫を触らして欲しいと懇願される。愚生自身のことではないが、何時も誇らしい気持ちになる。人の年齢では75歳くらいだというから天寿とまでは言わないが、いつ逝ってもおかしくはない。ショーキャッ系の純粋な血統種だから、野良猫のような力強い生命力はない。そのため食に対しても、非常に淡白だ。飢えたことのない血統種の彼等は、餌など探すDNAなど持ち合わせていないのだろう。そのせいか、友人が飼う捨て猫と違い家の中の壁や衾を傷めたりはしない。また、置いてある食べ物に手を付けたりはしない。育ちの良さが窺えると言ってしまえばそれまでだ。その威厳のある猫だが、15歳近くにもなり流石に体調は良くない。内臓から出血しているようだから、そう長くはない気もする。いずれにしても15年間もお世話になったのだから、何かあった時に飼い主が家にいないのでは困る。そう思ってGo to travelで予約していた旅行を違約金を払ってキャンセルした。旅行は今でなくとも可能だ。しかし、猫の余命は待ってはくれないから軽重の度合いは無限大くらい違う。実の子供たちが巣立って、残されたロシアンブルーが唯一の子宝だった。彼は生まれてすぐに愚生宅に来た。一頭飼いだから、本人は猫だとは思っていない。そのせいか愚生らに遠慮もしない。食事の時でも、愚生に持ってくる一皿目と猫用の魚実が入った茶碗が同時で配膳されなければ不満を漏らす。妻が申し訳ないと謝りながら、猫の機嫌を取りなすことも多い。長い間一緒に暮らしていたため、猫語でも彼の意志は十分に理解できる。親心としては長く生きて欲しい。しかし、苦しそうな姿を長い間見ることも辛い。以前に飼っていたラブラドルレトリバーの時も、半年くらい辛い姿を見ていた。ただ、救いは目の前で息を引き取ったことだ。今回もそう望みたいものだ。

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