老人の心を癒してくれる
2010初頭から書き始めたブログは、もう11年目を迎えた。早期退職後に、世間との接点を求めて、「石見銀蔵」という名まえ負けしそうなペンネームで、つまらない内容を綴っている。その間、石見銀蔵の代名詞だったロシアンブルーのりりさんは昇天してしまった。今は代わりと言っては失礼だが、自分が犬だという認識がないチワワのロイさんがいる。カミさんからは、高齢でペットを飼うことに大反対があったが、お金をつければ面倒を見てくれる施設があることを説明して了解してもらった。しかし、飼った途端にカミさんがロイ君を溺愛している様を見ると、誰のために買ったのかと自問したくなる。いずれにしても、ロイさんが来てからは彼中心の生活になった。ただ、その見返りに大量のオキシトシンを何時も頂いているので感謝している。愚生が以前に飼っていた犬は、盲導犬に使われているラブラドルレトリバーだった。この犬は大型犬だったが、使役犬の性格そのもので飼い主には忠実だった。田舎で柴犬も飼ったことはあったが、飼い主の愚生に忠実だった。しかし、チワワ(スムチ)という犬種は、あまりにも小さいため使役犬にも番犬にもならない。一方、カラスや他の動物に攻撃されないかと気遣うため、散歩も歩かせないで愚生が抱えて連れて行く。どんな目的でこの犬種が生まれたのかはしらないが、愛玩犬という分類だけは間違いないようだ。そのせいなのだろうか、机をかじっているのを注意しても止めることはない。ダメだといっても、なんでという顔をする。愛想がよいことを除けば、猫のようで犬らしく従順でないのが特徴だ。小さくても気が強いのだろか、目が合っても愚生から反らすことはない。ただ、犬特有のお節介なまでの歓迎はしてくれる。愚生の気を引きたいのか、自分の大切な遊び道具を持ってきて遊んでくれる。球拾いなど本人は楽しくないのかもしれないが、愚生が喜ぶとでも思っていて、何度でも持ってきて渡す。その健気な気持ちが嬉しくて、ついつい甘くなってしまう。老人は歳を重ねるごとに社会から疎外されるような気がする。ペットが疎外された老人の心を癒してくれることだけは確かだ。
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