学問・資格

2016年12月 3日 (土)

昔を振り返って共感できる大学生時代

Maxresdefault_2  今日は、愚生が事務局をする大学時代のOB会だ。事務局と言うと、たいそうに聞こえるが、実態は学校の小遣いさんのようなものだ。連絡係とカメラマン、そしてホームページの更新を任されている。還暦過ぎたメンバーばかりだから、老人会の集まりのようなものだ。新宿での開催なので、愚生のような東京在住者は楽だ。遠路はるばる北関東からくる友人などは、早朝から大変だと同情する。こうして、歳を重ねても出席できると事に、感謝しなければならない。体調が悪かったりすれば、出席しようという気になれない。また、身内などに心配ごとを抱えていれば、その気にもなれない。若い頃に返って、当時を懐かしむ機会も、あと僅かだろう。そう思うと、近県にいながら不参加な友人に思いが及ぶ。とてもその気にはなれないという状況なのかもしれない。愚生の場合は、小さい頃を過ごした田舎に、これといった親交がある友人はいない。そのせもあってか、昔を振り返って共感できる一番古い時期が大学生時代だ。友人に出会って、いつも思うのは当時の時空にすぐに戻ることだ。親や教師の干渉から解き放たれた、人生の第一歩が大学での生活だった。愚生の場合は、遊学だったため、いっそうその印象が強い。楽しいひと時だ。しかし、歳を重ねて、いつまで会を続けられるだろうかと不安にもなる。そして、連絡がない友人には、何か出たくない理由があるのだろうかと詮索してしまう。そう思いにふけりながら、集合場所まで行く道のりも楽しい。今日も少し早めに行こう。

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2016年12月 1日 (木)

諦めるという悟り

F69c4fa39147632c7dda14cecd8fa267c21  この歳になると、人生を振り返る余裕ができてくる。衣食足りて礼節を知るというが、生活にそれほど余裕があるわけではない。そして、礼節を知るどころか、私欲がなくなるわけでもない。ただ、もう出来ない事を知り、諦めるということを学ぶ。いくら気が若いといっても、若者の健康美には勝てない。男だから、女性に比べればずいぶん得をしている気はする。しかし、この歳になって、ベッキーや滝クリを論じれば傍から見ても馬鹿げている。ずいぶん昔、昭和41年にヒットした槇みちるの「若いってすばらしい」という歌がある。この歌の作詞家は誰かと思えば、加藤和彦と再婚した「安井かずみ」だ。愚生には、この歌に詩われているような、将来に向かっての生き生きとした気持ちはもはやない。やはり、先に生きることより、下っている坂の向こうが気になる。坂の向こうに目を伏せ、ひたすら下を向いてほふく前進している友人もいる。いったい、いつまで生きるつもりなのかと言いたい。自分の過去を振り返れば、小さい時に重要だと思ったことで、とるに足らないことも多かった。民間企業に勤めたせいか、小・中・高より大学、そして入社してからの日々の努力の方が何倍も人生において重要な事がわかる。こう考えると、親の期待での詰め込み教育など、子供の将来を虫食んでいる気もする。自分が出来なかったことを、子供に託すほど無責任なことはない。あくまで、自分の希望は自分の努力で完結すべきだ。諦めるという悟りは、老いてから重要だとつくづく思う。

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2016年5月 8日 (日)

J-REIT市場への資金流入が続く

2001pb19_2 日経平均株価が昨年末比で1割強下げるなか、東証J-REIT指数は1割近いプラスを保っている。超低金利が続くなかで、J-REIT市場への資金流入が続いているからだろう。10年物国債利回りのマイナス圏が定着し、東証1部の予想配当利回りは2%強程度だ。株は期ごとの損益で大きく株価は変動するが、不動産収入は稼働率さえ安定なら収入は一定だ。定期金利が=0%に近いなか、3%の利回りは魅力的だ。やはり、J-REITを押し上げたきっかけは、1月末に公表したマイナス金利政策だ。REITの決算報告書を読むと、いかに低い金利で借り換えるかと言う戦略が報告されている。半分弱の資金を、借入金でレバレッジをかけて運用するREITは、金利が0.1%下がると分配金が2%増えるという。会計明けの4月からは、運用難の地方銀行なども投資し始めた。愚生も過去に海外のREITや株式に投資したが、為替リスクが常に付きまとった。その点、J-REITは為替リスクがないことが安心だ。ただし、愚生がREIT物件を選択する場合、そのファンドの保有物件に注目する。将来の値下がりリスクを避けるため、投資対象を東京都心3区の物件に限ったREIT投資法人しか購入していない。田舎出身の愚生には、不動産の流動リスクを痛感しているからだ。ところで、今朝介護施設に入居している母と話をしたが、三菱重工と関西電力の株はどうかと尋ねられた。介護人をする美人の女性から株の銘柄を尋ねられたという。愚生の母は、株式投資で損をした記憶がないと自慢する。母の投資時期は、日本の高度成長期だっただけに、株式投資が最も簡単な時代だ。いずれにせよ、母が他人に株式銘柄などを推奨して、相手に損でもさせたら大変だ。今回ばかりは、知識も調査もしないシャーマン(祈祷師)の銘柄選びと同じだと厳しく注意した。そして、日本の指数は今後2~3年間は下降トレンドのため、無責任に他人に株など勧めるなと言った。しかし、そういう愚生はというと、自己矛盾が激しく小野薬㈱で大きなポジションをとっている。

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2016年3月12日 (土)

担任と校長は、諭旨免職とすべき

インターネットに、広島中3自殺事件で、生徒の3年担任は篠永美代子教諭とみられ、また1年生時の担任は内藤博夫教諭と判明したとある。昔と違い、瞬時に事実がSennsei23 公開されてしまう怖さがある。愚生は教師の経験はないが、企業に勤務し管理職を長くした経験はある。この中で、高校への推薦基準となる非行歴の調査対象期間などを毎年、3年の担当教諭だけで検討することが慣例化していたという。要するに現場任せで、校長は追認のみとあった。各学校の推薦基準が現場任せといっても、父兄や本人に推薦基準を告知していないことは問題だ。報告書によると、男子生徒の学年は1年の時に暴力などの問題行動が多かったため、教諭らは本年度の1学期ごろから、非行歴の調査を昨年度と同じ「3年時」だけにするか、「13年時」とするかを議論してきた。しかし、今回13年までの記録を基に推薦というなら、今の3年生が中学入学時点に彼等に説明しなければならない。遡及法的な基準は、問題があった。結論を含め現場任せなのは方針としも、問題が起こった時の責任は校長が負う。だから、校長という管理職が置かれている。愚生が思うに、緑ヶ丘中の校長は無能かつ無気力としか思えない。第一の疑問は、サーバーに何故誤った記録が放置されたのか。1年担任は内藤博夫教諭だというが、彼が自分の生徒の記録修正の確認を怠ったことが事件の発端だ。次に、3年担任の篠永美代子教諭が直前に生徒と行ったとされる「5回の面談」は全てが廊下での立ち話で、口頭による説明だけで書類では記録を残していなかった。学年主任が万引きをしたという誤った資料に基づいて、1130 日までに確認をするよう担任篠永美代子教諭に指示を出していた。篠永美代子教諭は、事実確認をするために、1年担任の内藤博夫教諭、本人や父兄に説明して齟齬がないようにすべきだった。ところが、廊下での立ち話で、誤った先入観で万引き生徒と決めつけ、志望校への推薦会議で校長に報告した。学校の調査報告によれば、本人が万引きを認めたような内容をでっち上げているが、死人に口無しだろう。愚生が管理職の立場であれば、1年生の過ちであれば嫌疑があったとしても見逃してやっただろう。それが教育ではないだろうか。全体に思うことは、緑ヶ丘中の教諭の資質が著しく低いと言わねばならない。ひと一人が死んだ以上、教育者の立場上責任は取って頂きたい。担任と校長は、諭旨免職とすべきだ。

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2015年12月 1日 (火)

首都大学を廃校にするか売却すべき

Shtodai 都議会総務委員会で、首都大がバンコクで開催した同窓会は、税金の無駄遣いだと指摘された。留学生を首都大学に受け入れる、国際事業の主旨は理解できる。しかし、教職員や元留学生の同窓会旅行の費用(航空券代や教職員の日当)、計408万円までを都民の税金で支払う必要があるのか?その職員一行は、ホテルで同窓会を開催し、世界遺産のアユタヤ遺跡を観光していたというから呆れる。経費のうち教職員の航空券代や日当は191万円と約半分だというから、同窓会にかこつけた海外旅行だったことは明々白々だ。そもそも、東京にこれだけ国立私立大学が乱立する中で、都民の税金を使って大学など運営する必要があるのか。おまけに、職員が都民の公金を使用して海外旅行に行くことがまかり通ってしまうなど、言語道断だ。同窓会やOB会などは、その主旨に賛同したメンバーが、互助的に支出するものだ。国立大で、直接費としての同窓会費用など国から援助があるはずはない。首都大でそれがまかり通るなら、自己管理機能が欠落しているとしか思えない。百歩譲っても、参加した教職員の費用は自腹で支払うべきだ。都は、速やかに教職員から参加費用の返金を求めるべきだ。今後、財政負担軽減のため、首都大学を廃校にするか、私立の学校法人に売却すべきだ。

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2015年11月 3日 (火)

小保方晴子氏の博士号取り消しは遺憾

4b296288 早稲田大学は、小保方晴子氏の博士号の取り消しが確定したと発表した。博士論文に不正行為が見つかった後、猶予期間内に訂正できなかったためという。そもそも、博士号など価値があるのだろうか?愚生が勤務した会社では、周りに博士号を持つ人は多かった。博士号というのは、学位だからそれ自身お金を生むことはない。ただ、愚生の会社に限ったことだろうが、博士号の学位を持つと給料が50円プラスされた。今回、これほど大きく報道する必要があるのだろうかと思う。確かに、小保方氏の博士論文をめぐっては、STAP細胞論文を発表した後、文書や画像について不正の疑いが数多く指摘された。小保方氏に限らず、早大では、2006年以降に、博士号を授与した89人の博士論文で不適切な引用などがあったと言う。一体、何を審査していたのだろうか?博士号を取得するなら、学費の安い国立大学で論文を書くべきだ。私立大学では、お金がかかって大変だろう。それともその分、お目こぼしが多いのかもしれない。ところで、小保方氏は、学位論文について指摘された問題点をすべて修正し、論文を再提出した。しかし、修正論文は博士に値しないと判断された。修正論文の提出前から、担当教官に「今回は合格する可能性はとても低い」と伝えられ、審査教官からも「博士として認めることのできないのは一連の業界の反応を見ても自明なのではないか」とのコメントがあったという。早大は、小保方氏以外の不適切な記述が見つかった論文の学位は取り消さないというから、小保方氏の博士号取り消しは、結論ありきだったようだ。小保方氏も、早大にしても、こんな役にも立たない、いいかげんな学位で世間を騒がすことは不毛だ。世界を見渡せば、スティーブ・ジョブズはリード大学に入学したが、同年退学した。ビル・ゲイツも、ハーバード大学を休学し、2007年名誉学位号が授与されたわけだから学士論文は書いていない。いずれも、正確に言えば高卒だ。学位と人物は別物だ。愚生に言わせれば、一度与えた学位を取り消すことは、遺憾だ。そして、早大の論文審査の在り方を、小保方氏個人の資質にすり替えるほうが問題だ。

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2015年10月12日 (月)

企業間競争は戦争そのものだ

As20141014005023_comm 2015年ノーベル賞受賞者は、山梨大学、埼玉大学という地方中堅国立大卒だ。2014年の受賞者、青色LEDの中村修二氏も徳島大学出身だった。いずれも学部時代を、地方国立大学で学んでいる。一方、東大卒が多い民間企業でも、日立社長に徳島大卒の東原氏、富士通社長には東京理科大卒の田中氏が就いた。昔のように大学進学率が低い時代と違い、東京・神奈川・京都・兵庫では進学率が60%以上、関東地方や北陸地方などでも50~60%にもなる。大学学位が義務教育のように一般化された昨今、これからも旧帝大以外の傑出した人材が増えるだろう。日本学術会議の大西隆会長は、受験勉強での優秀さと、研究者としての優秀さは違う。そして、18歳の学力試験で一生が決まるような世界はないという。愚生もF社の勤め人時代、末席ながら勤務評価の評議員を務めていた。愚生の職場は個人能力に依存しやすい開発部門だった。そういう部署であっても、記憶力に依存し解のある大学受験と企業での遂行能力は別物だと思った。先が確実に見える顕在化された市場は、参入企業も多く、価格競争も激しいため利益率が低い。要するに解がある市場は儲からない。儲かる市場とは、潜在市場が顕在化され、先行者利益が得られる場合だ。その潜在市場をみつけるには、傑出した創造性や粘り強く諦めない根気も必要だ。これは、記憶力中心の短距離競争と違い、長い人生そのものでの継続した実践だ。お天道様があたる時期もあれば、肌寒い日もある。そして、企業間競争は、鉄砲を持たないが戦争そのものだ。権謀術数が渦巻く弱肉強食の世界だ。問われる能力は、職場にもよるが多岐にわたる。特に、部下を率いての戦いなら、前線から逃げない強靭な精神もリーダーに求められる。大西会長のいうように、求められる能力が、18歳の一度の試験で判るはずはない。当時F社では、大学名、年齢など評価対象にならない情報は、全て部下の個人情報からは除外されていた。ノーベル賞受賞者が地方国立大卒が多くなったことは、驚くことでもないだろう。駅弁大学などと揶揄した大宅 壮一は、墓の下でどんな思いだろうか?

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2015年10月 3日 (土)

文科省の国立文系廃止・削減通達

001 国立大の教員養成系学部や人文社会科学系学部の廃止や組織改編を求めた文部科学省の通知に対して、各方面から文系軽視との批判が相次いでいる。それに対して、文科省は、社会科学系の廃止を求めているものでなく、「教員養成系で教員免許取得を義務付けない新課程には廃止を求めるが、その他には自己変革を促す目的」と強調する。そして、通知自体は見直さなかった。愚生のような猜疑心の強い者が深読みすれば、国立文系学部の廃止方針に対して反発が大きかったので、通達自体の意味を曖昧な内容にした。しかし、文系学部の組織の廃止や転換を進めなければ、その大学の他分野への拡充は認めないとの通達だ。要するに、学部や学科の新設など定数増員の原資は、国立文系学部の削減から補えという主旨だ。この結果、文系学部の廃止や削減を行えば、その分野の専門職員の削減になるから、雇用の問題なのかもしれない。2016年度新増設大学一覧には、
宇都宮大:地域デザイン科学学部、
福井大:国際地域学部、
佐賀大:芸術地域デザイン学部、
宮崎大:地域資源創成学部
などの学部新設や多くの学科の新設がある。一方、その増員の原資のため2016年度に募集停止された学科は以下だ。
弘前大教育 生涯教育課程
岩手大教育 生涯教育課程、芸術文化課程
宇都宮大教育 総合人間形成課程
千葉大教育 スポーツ科学課程、生涯教育課程
福井大教育 地域科学課程
山梨大教育 生涯学習課程
信州大教育 特別支援学校教員養成課程、生涯スポーツ課程、
静岡大教育 生涯教育課程、総合科学教育課程、芸術文化課程
三重大教育 人間発達科学課程
和歌山大教育 総合教育課程
愛媛 教育 総合人間形成課程、芸術文化課程 スポーツ健康科学課程
佐賀大教育 国際文化課程、人間環境課程
大分大教育 情報社会文化課程、人間福祉科学課程
宮崎大教育 人間社会課程
ほとんど全てが、教員養成課程系で教員免許取得を義務付けない新課程だ。文科省の通達の出る前から、既に内々に示されていたようだ。国立大学である以上、文科省の主旨に沿わなければ存続できない。私立大学の多くは、文系比率が非常に高い。愚生の勤務したIT企業でも、工学部は指定校制、その他学部は自由枠だった。コンピュータ企業の営業といえ、製品の内容を理解しなければ、販売などできない。こう考えると、日本企業が求める学生と日本の大学が創生する学生の数に、大きなギャップがある。必要な学生を多く輩出したいなら、国立大学授業料を一律にせずに、必要な学部の授業免除も一案ではないだろうか?

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2015年9月20日 (日)

大学出に名捕手はいない?

I0005 ソフトバンクは、2年連続17度目のパ・リーグ優勝を917日決めた。これは、1964年南海の919日を抜き、リーグ史上最速での優勝だ。南海ホークスという名前は、若い人には、聞き覚えがないだろう。年配でも、巨人・大鵬・卵焼き時代の人は、人気のなかったパ・リーグ球団など知らないかもしれない。ただ、南海ホークスで4番キャッチャーだった野村克也(南海・ヤクルト・阪神・楽天監督)は知っているだろう。その野村監督と阪神の江本孟紀(南海・阪神・参議員)との対談が載っていた。両人とも常人から比べると性格は変わっている。野村と江本の出会いは、江本が東映フライヤーズ(現、日本ハム)の若手で芽が出なかったころ、南海の監督兼捕手だった野村がトレードで獲得して育てた。江本は、昭和48年の南海が最後に優勝した時の優勝投手だ。その後、江夏とのトレードで阪神に移籍した。話は前後するが、その南海ホークス時代のバッテリー・野村と江本が捕手の重要性について対談した。野村曰く「大学出に名捕手はいない」という。勿論、野村は高卒だ。理由は、「ピッチャーとキャッチャーは高校を出てすぐプロに行くべき。18歳から22歳は一番大切な時期。基礎知識をどんどん吸収して、野球が分かってくる。この時期にアマの指導者から、結果論で間違った指導をされるとダメになる。キャッチャーを育てるには結果にはしばらく目をつぶり、根気強く基礎・基本を教えるしかない」という。そして、巨人の阿部慎之助(中大)のことも、迷捕手だと扱き下ろす。二人とも、口が災いで球団を追われた共通点があるから、対談の信憑性などない。ただ、息子の野村克則(明大捕手)も大卒で大成しなかったことは事実だ。子煩悩で親バカなのだろう。ヤクルトの監督時代に、克則をドラフトで指名し、阪神、楽天と移籍するたび息子を呼び寄せた。親父がいなかったら、克則のプロ野球人生はなかったかもしれない。ところで、この江本孟紀は、法大というが単位を取っていないため卒業はしていない。野村監督の眼鏡にかなう立派な高卒選手だ。

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2015年8月31日 (月)

挫折は早いほうが良い

Paulmap1 新約聖書ローマ人への手紙の第5章3節に、「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。」という箇所がある。ローマ人への手紙は、聖パウロが伝道旅行の終りに、コリントから次に訪ねる予定のローマ教会に宛てに書いた手紙だ。聖書解釈から離れても、人生を振り返れば「目から鱗が落ちる」と言い当てる場合が多い。どんな人だろうと、挫折を味あわないで人生を終えることはないだろう。痛みは、慣れによって癒されると同様に、艱難は忍耐を生み出す。そして、人は耐え忍び解放に向かって努力する。結果が全て上手くいくことはないだろうが、信じて将来に向かって進むしかない。ただ、挫折を味あうことは、早いほうが対処はしやすい。中高生なら、将来の自分の職業を選ぶ時間がある。大学生なら、再入学や転科によって、多少遅れても可能だ。就職してから自分のキャリアを変えるには、相当の覚悟がいる。特に、自分が大学までで培ったキャリアを全て捨てて、新たに学ぶ場合は多くの時間が無駄になる。それでも、自分の可能性に賭けて人生を歩むことはいいが、挫折した場合の自己崩壊感は大きい。人は、常に自分の立ち位置を基準に物事を判断することが多い。客観的に自分を見つめるときは、挫折を味わってからの方が多い。そう思うと、スタートが恵まれていることは、必ずしも良いことばかりではないようだ。

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