岩谷時子の訳詞マイウェイを眺めて

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病人を抱えると、健康のありがたさが身に染みる。いくらお金があっても、健康を買うことはできない。勿論、お金がなくて病気の場合は、さらに悲惨だ。そう思うと、日々の飯を食える程度の貯えがあれば、それ以上のお金は不要な気がしてきた。多少のお金を上乗せするために、老後の限られた時間を費やすことは命の無駄だと気付いた。いくら増やしたところで、残ったお金を向こう側の世界に持って行くことはできない。それより、こちら側で残された時間を有意義に過ごすことのほうが重要だ。今日は、長野の介護施設に居る89歳のお袋に会いに行く。最近、めっきり老け込んできたため、あと何回会えることだろう。そう思うと、18歳まで田舎でお袋と過ごした日々を思い出す。小さい頃、お袋といっしょにハモニカで「ふるさと」を吹いた。愚生の田舎雪深い北陸には、歌の中に出てくる野ウサギがいた。ペットで買われているウサギと違い、もうスピードで田畑を駆け抜けた。音信不通の友がきは、どうしているだろうか?ところで、「ふるさと」と言えば、五木ひろしの歌もある。大学時代によく歌った記憶がある。田舎から出てきて、地縁血縁のない土地で寂しかったからかもしれない。昔の記憶を辿っていくうちに、愚生も老人になったとつくづく感じる。
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最近、音楽をyoutubeで聞きことが多い。音質に拘らなければ、色々な曲を自由に聞ける。軍歌を聞くと言うと、思想的に眉をしかめる人も多いだろう。しかし、当時の世相を反映してか、最高の作曲家・作詞家・歌手が担っている曲が多い。これは、洋の東西に関わらず、それと知らずに耳にする歌が多い。例えば、運動会でよく聞く行進曲「旧友」は、アタック隊進軍歌だ。「HORST WESSEL LIED 」は、ナチスドイツの歌だ。よく替え歌で使われる「歩兵の本領」という曲がある。この曲の本当の歌詞を知るまで、私が育った田舎の中学校の応援歌だと思っていた。また、私の年代の親世代は、親父に従軍経験があり、母親は銃後の守りという時代だった。そういうせいか、物心がついた頃からお袋の鼻歌まじりの歌が耳に入ってきた。「愛国の花」「愛馬進軍歌」「空の神兵」「ラバウル海軍航空隊」「暁に祈る」「婦人従軍歌」など、戦争の意味は知らないが、今聞いても懐かしい。ただ、良い曲には違いないが、これらの歌に送られて戦場に行き、多くの人が戦死したことも事実だ。そう思うと、戦後に育った愚生には、「戦争を知らない子供たち」のほうが相応しいようだ。
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毎日、30度越えの猛暑だったが、今日は久しぶりの雨だ。昨日、猫の額のような庭に、日々草などを植え付けた。この雨で、苗の活着などの心配が無用になった。ところで、愚生は仕事で出張が多かったせいで、海外を含めて方々に行く機会が多かった。ところが長崎県は、全く機会がなかった。行く機会のなかった場所は、やたらと美化してしまうようだ。『長崎の夜はむらさき』という歌は、雨に湿った讃美歌の・・・浦上川で始まる。長崎と言う地域は、日本のカトリック教徒の約半数が住む。そして、浦上川といえば、カトリック浦上天主堂(教会)を連想する。ただ、愚生のようにプロテスタント教会で洗礼を受け、カトリックに改宗した者にとっては奇異に感じる。名前だけの信者であっても、プロテスタント教会では讃美歌だが、カトリック教会は典礼聖歌を歌う。耳にする巷で歌われる教会関係の歌は、ほとんどプロテスタント教会の讃美歌だ。最近、日本の結婚式場では、神前より教会形式で行われることが多い。信者でない姪の結婚式は、ホテルのチャペルで神父が式を進行していた。そして、日本でよく知られている『いつくしみ深き 』という讃美歌が歌われていた。母教会の神父も、アルバイトでホテルの結婚式を執り行うことがある。ただし、讃美歌のことは全く知らないため、元プロテスタントだった愚生になぜ『いつくしみ深き』を歌うのかと聞かれたこともあった。プロテスタント教会員同士の結婚式の場合は、『妹背をちぎる(いもせをちぎる)』が最もよく歌われるようだ。愚生も、三十数年前に歌った記憶がある。とり留めもなくブログを書いていると、今朝の日経平均株価が沈んでいる。頑張って頂きたいものだ。
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「涙そうそう」の歌詞の中に、「古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた いつもいつも胸の中 ・・・想い出遠くあせても
おもかげ探して よみがえる日は 涙そうそう・・」というくだりがある。作詞者の森山良子さんに叱られるかもしれないが、愚生はこの歌詞に綴られた意味とは、違う理解をして共感している。森山良子さんといえば、ずいぶん古い歌だが「禁じられた恋1969年」が大好きだ。高校時代に世界遺産に登録された「五箇山の合掌造り集落」に行ったときに、夜の余興で歌った記憶がある。ただ、昔のことを思い出せば、辛いことも同時に脳裏に浮かぶため、意識して思い出さないようにしてきた。過去のトラウマは、いつまでたっても消えない。好きだった森山さんのLPは、大学に入って興味が薄れたせいか、友人と交換してしまった。そう思いながら、机の上を見ると、埃の被った古い写真アルバムがある。それは、田舎を出た後の自由を満喫した大学時代のアルバムだ。株式市場の休みの今日、時間を持て余すのなら、楽しかった時代の写真アルバムを見やすいように、WEBのHPに上げよう。
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昨日、二十四の瞳に流れている歌を数えながら映画を見た。勿論、初めて見た映画ではない。大東亜戦争に進む世相の中で、教師と生徒たちの生活の悲壮さを描いた作品だ。ただ、大方のあらすじは知っているので、はじめて見た時と違い、バックグランドに流れている歌に聞き入った。そして、そのメロディーが映像の悲しさを補完するため、よりいっそうの共感を誘う。昭和20年代生まれの愚生には、母が口ずさんでいたこともあり、全て聞き覚えのある歌だ。聞き逃した曲もあるかもしれないが、【仰げば尊し、アニー・ローリー、村の鍛冶屋、ふるさと、汽車は走る、七つの子、ひらいたひらいた、ちょうちょう、あわて床屋、朧月夜、春の小川、荒城の月、みなと、いつくしみ深き、ちんちん千鳥、浜辺の歌、蛍の光、暁に祈る、露営の歌、若鷲の歌、埴生の宿、菜の花畑】が、バックに流れていたと思う。この中で、繰り返し多く使われていた曲は、七つの子だった。この「七つの子」は、カラスが煩く鳴くのは、山の巣にお腹を空かした沢山のヒナ鳥がいて、餌を待っている。可愛い子にご馳走をあげたいという、やさしい母さんカラスが鳴いているというのが、一般的な解釈だろう。歌が入ったり、曲だけが流れる場面もあったりして、映画を盛り上げる。当時の世相を映す、反戦映画と見る向きもある。しかし、愚生には、子供の頃に記憶のある曲が郷愁を誘い、その曲に画像が焼き付いているように感じる。そう思いながら、記憶を辿ると、ふと「よらかるあがこのつなないいわか・・・」という替え歌を思い出した。小学生だった頃、クラスに河原君という、おとなしい子がいた。彼のあだ名がカラスだったので、七つの子を歌ってからかうと泣いて抗議してきた。そのため、七つの子を逆さまから歌って、揶揄していたことを思い出した。愚生は、ずいぶん小さい頃から嫌われ者だったようだ。
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今朝は、愚妻の調子が悪くM市民病院の脳神経外科に連れて行った。午前中いっぱい時間を潰してしまったので、とても正月気分にはなれない。病院から帰って年賀状を見れば、喪中ハガキをくれた学友からも来ている。慌てて、パソコンで印刷して返信の賀状をポストに投函した。ところで、昨晩は恒例のNHK紅白歌合戦を途中まで見た。和田アキ子が歌った後、ラジオで聞こうと思ってベッドに就いたが、眠くなって寝てしまったようだ。和田アキ子というタレントは、怒鳴りながら昔の曲を歌っていて、とても歌唱力など持ち合わせていない。愚生が小さい頃は歌手だったようだが、当時から歌は下手くそだった。しかし、NHKとよほどウマが合うのか、紅白歌合戦には毎年連続出場している。スマホ世代の若年層から視聴率を稼ぐのに、若いグループ・ユニットが出場するのはわかる、下手くそな和田アキ子の歌など聞きたいと思う老人がこの世にいるとは思えない。和田アキ子より、森山良子、浅丘めぐみ、小柳ルミ子、山口百恵、吉永小百合、倍賞千恵子、森昌子、南沙織、トワエモア、黛じゅん、夏川リミ、山本リンダ、平山ミキ、荒井ユミ、など多くの選ばれるべき歌手がいるはずだ。
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今日の用事は、病院に行くことだ。自分以外の家族のことも含めれば、病気や病院の話題は尽きない。つくづく歳をとったと実感する。「歳を重ねることは出きないことを諦めること」だと、身を思って悟る。若いときは、将来のことしか目に入らなかった。そして、自己実現のための希望を抱いたものだ。今思い出しても、何かに一心不乱に打ち込んでいた気がする。価値があったかどうかはともかく、意欲だけはあった。槙みちるの「若いって素晴らしい」という歌のように、すがすがしい気持があった。歌詞を思い出そうとYoutubeを調べると、中山千夏の「あなたの心に」があった。この曲を聴いたのは、青島幸雄や八代英太などと、昼のワイドショーに出演していた頃だ。その後、三人とも政治家にはなったが、名誉欲ばかりが目立ち際立った活躍などしなかった。そう思いながら右隅を見れば、チューインガム「風と落葉と旅びと」とある。見覚えのある題名だが、聴くまで歌を全く思い出せなかった。そして、愚生にもこういう時代があったことを思い出すと、青臭く甘酸っぱい感傷に浸ってしまう。そういえば、来週の週末は学生時代のOB会だ。最近、参加者も少し減ってきた。老い先を見れば、心痛で余裕がなくなったのだろうかと心配になる。
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