歴史

2020年10月18日 (日)

原則に立ち戻って四島一括返還を

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産経新聞に、菅義偉首相とロシアのプーチン大統領との電話会談の内容があった。それは、首脳電話会議では、プーチン氏から領土問題を取り上げたという。その内容は、昭和31年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約締結に向けた交渉を加速化する。平成30年のシンガポールでの日露首脳合意を確認するよう促したという。露側から平和条約交渉を提起するのは異例だというが、ロシアは二島先行返還をする意思などはない。拙速な安倍晋三前首相と老獪なプーチンとの内容を後退させないため、釘を刺しただけだ。幼稚な安倍首相は、四島一括返還を二島先行に切り替えた途端にゼロ島になった。この愚かな外交を、菅政権は引き継いではいけない。あくまで、四島一括返還を主張して、日本側は筋を通すべきだ。その結果、ロシア(ソ連)は歯舞群島と色丹島を日本に引き渡す可能性はある。しかし、ロシアなどといくら約束しても、昨年1月にロシアの国家安全保障会議が「交渉を急がず、日本側のペースで進めない」との方針を決定した。要するに、ロシアとの約束事など信用するに値しない。つい最近、ウクライナから屁理屈をつけてクリミア半島を武力で奪った。これを、忘れてはならないだろう。それに伴うEUからの経済制裁で、ロシアが疲弊している。対支那外交でEUとの連携を願うなら、ウクライナからの不法占領を放置してはならない。愚かな安倍外交を総括すれば、以下にロシアにいいように扱われたかが分かる。一度、冷静に安倍外交の失敗で、四島がゼロ島返還になった経緯を総括すべきだ。日露首脳会談で平和条約交渉を取り上げたプーチン氏の対応は異例だというが、それだけ経済制裁で苦しいのだ。ロシアは人口でも日本とそん色はないくらい小さくなった。支那とは比べ物にならない朽ちた老大国だ。シンガポール合意は、四島返還を放棄する恥辱外交だった。原則に立ち戻って、菅政権は四島一括返還を対露交渉方針とすべきだ。これで、日露の関係がぎくしゃくしても、経済力のないロシアが疲弊するだけだ。

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2020年2月 8日 (土)

北方領土交渉の失敗を認めるべき

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安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領との首脳会談では、これまで北方領土問題で具体的な成果はなかった。安倍首相は、ロシアの思惑を読み違え、北方四島返還の原則を曲げて迎合してきた。ロシアに迎合して日本は「四島返還」の主張を封印するなど譲歩を重ねた。一昨年11月のプーチンとの首脳会談で2島返還をうたった昭和31年の日ソ共同宣言に基づいて平和条約交渉を加速させることで合意した。日ソ共同宣言を基礎というが、実は色丹島と歯舞群島の2島に絞って交渉を進めるという方針転換だった。そして、それ以降、日本側は「わが国固有の領土」や「ロシアの不法占拠」も言わなくなった。さらに、外交青書から四島が日本に帰属するとの趣旨の記述も消えた。振り返れば、四島は1855年2月7日に調印された日露通好条約で日本領土となった。四島は他国に帰属したことは過去一度もない固有の領土だ。ところが、スターリンは終戦直前、日ソ中立条約を一方的に破り、降伏した後で四島に侵攻し不法占拠した。安倍首相は、四島返還を自ら降ろしてしまうのか。首相は対露交渉に関して国民に幻想を抱かせている。平和条約締結後に色丹島と歯舞群島を引き渡す件については、プーチンは2島引き渡し後の主権や引き渡しの条件については何も書かれていないという。要は、主権を渡さないというなら、2島も返さないという意味だ。拙速な安倍首相は、まんまとロシアに騙された。安倍首相は、自らとプーチンの間で平和条約を締結すると繰り返してきた。しかし、ロシアがそうした言質を与えたことはない。安倍晋三首相は、四島返還の原則に立ち戻ると交渉方針を戻し、後任の首相に任せるべきだ。そして、自らの北方領土交渉の失敗を認めるべきだ。

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2020年1月29日 (水)

歴史を学ばない者は、歴史を繰り返す

2020012400080039chosun0004view 中国発の「新型コロナウイルス感染症」に対する韓国国内での状況が電子版新聞に載っていた。韓国各地では、反中・嫌中の動きが拡大しているという。そして、中国人観光客が主に訪れるホテル、飲食店、美容整形外科などには「中国人のお客さまは受け入れません」と書かれた張り紙が貼られ、タクシー運転手は中国人の乗車を拒否したという。ソウル市内の美容整形外科が中国人客を受け入れない理由は、中国人客は全体の10%がだが、中国人を入れると国内顧客の予約キャンセルが多くなるからだという。また、ソウル市内のホテルでは「宿泊不可」と中国人観光客を断る。このホテルは24日までに、42件の中国人観光客からの予約分について全額払い戻し措置を取った。ホテルの関係者は「中国人ではない他の国籍の宿泊客の不安を考慮し、中国人の予約を一時的に停止した」というが、断られた中国人はどうするのだろうか。また、相次いで乗車を拒否された中国人観光客女性は「患者でもなく武漢から来たわけでもない。手当たり次第に乗車拒否するとはどういうことかと怒る。サービス業だということを、忘れてしまったのだろうか。そういえば、韓国人の身勝手さには付き合いきれないことが多い。散々、日本を誹謗中傷していて、自分が困ると手の平を返したように為替スワップや輸出管理で「ホワイト国」をねだってくる。その虫の良さというか、恩義を感じない国民性は、ほとんど全員が欠陥人間と呼ぶにふさわしい。そして、ネットでは「NOチャイナ」を煽り、「新コロナウイルスは中国の生物化学兵器」などとの噂を拡散する。昨年の半ば、反日運動が拡大した際に作られた「NOジャパン」のポスターをパロディ化した「NOチャイナ」を作る。このポスターには「ボイコット・チャイナ」「コロナウイルス」「死ぬのは嫌です」などの文言が書かれている。そして、中国人の国内への入国禁止措置を求める署名活動が起きている。「溺れた犬は棒で叩け」という韓国の諺通りだ。それに対して日本は、「窮鳥、懐に入れば、これを助く」。相手を慮る助け合いの日本文化と、隙あらば、相手の弱点を突き、止を刺そうとする韓国文化との違いだ。ところで、日清戦争を中国では「甲午戦争」と呼ぶ。古い新聞を収集・研究している中国の研究チーム「万国報館」が、英・仏・米・ロなど西洋メディアが日清戦争前後に報じたおよそ300の紙面を通して、日清戦争の状況を振り返った一冊『甲午』だ。その韓国語に翻訳された本が出版された。それによれば、日清戦争は中国が侵略に遭った戦争だった。にもかかわらず、中国に同情する報道を西洋メディアに見いだすのは難しい。西洋の各メディアはおおむね、日本を文明国、中国は野蛮とする視点で正確に報道している。また、同書は、第1章を「東アジアの火薬庫:朝鮮」というタイトルで始まる。日清戦争は朝鮮の支配権を巡って繰り広げられた戦争だ。戦場の大部分は朝鮮の東支那海と、平沢・牙山・平壌など朝鮮の地だった。しかし、当の朝鮮は、自らの運命が懸かった戦争だったにもかかわらず、それを無気力に見守るしかなかったと記されている。これは中国で出版された韓国訳の書籍だ。100年以上経た今も、同様なことが繰り返されている。「歴史を学ばない者は、歴史を繰り返す」という言葉は、韓国にぴったりだ。

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2019年9月23日 (月)

韓国が日本克服と言ったなら会話も禁止

韓国では日本との経済対立が広がって、日本製品を買わず日本旅行を控える人が多くなった。韓国の言語には、日本の影が多いと言われる。そのため、日本語式用語の使用を禁止することが韓国の関心事だった。解放直後から日本の残滓を洗い落としてきたという。特に、1990年代には日本語式がとりわけ多い建設分野の用語の言い換えを行った。そして、国立国語院は2005年と2006年に連続して「日本語式用語純化資料集」を発表した。しかし、韓国の人気食と言える「チャンポン」は日本語だ。韓国式表現は「チョマミョン」だそうだ。ただ、あまりに韓国語のように定着しているから、国立国語院はチャンポンをあえてチョマミョンに変えて使えとは勧めていない。ワサビ、オデン、ウドンは、チャンポンに比較すると容易なので、「標準国語大辞典」には、それぞれ「コチュネンイ」「オムク」「カラクグクス」と変えて使えとある。愚生に言わせれば、主に学問領域の漢字語、たとえば哲学、主観、客観、理性、芸術、文学、心理、科学、技術、権利、義務などの語彙は全て日本からきた。当然だろう。漢字本家の中国学でも同様だからだ。西洋学問導入は19世紀に日本が東アジアに普及させた。インターネットで、調べればすぐにわかる内容だ。大統領、首相、長官のような行政用語も日本語だ。こうした言葉は、近代化の進んだ日本を通じて受け入れるほかなかった。そして、この言葉を捨てられるだろうかといえば、現実的に不可能だ。どんな漢字語が日本語式なのか知りたがる国民の疑問を解消するために、韓国国立国語院は2015年に「日本語式語彙資料構築」という報告書を公開した。国語院の検索ボックスに「日本語式」と打ち込めば報告書が出てくる。驚くほど日本製の漢字語が多い。そもそもハングル自体も、朝鮮総督府が整理して普及させたものだ。過去の朝鮮半島では、一般民衆は漢字どころかハングル文字の読み書きも出来なかった。民衆には学問の機会どころか、学校そのものが存在しなかった。ハングル文字は、韓国が捨てたものを日本が文盲解消のために復活させた。日帝残滓を清算するというなら、ハングル文字も捨てて新たな言語を作るしか無い。かつて、日本では、「支那蕎麦」「中華蕎麦」「朝鮮漬け」と言っていたものを、「ラーメン」「キムチ」と言うようになった。日本語式表現を問題視する風潮がある韓国と違って、日本社会は寛容だ。漢字と違い、ハングルは同音異語に対応できない表音文字だ。その上、日本語の語彙を失くしてしまえば、漢字の読めない韓国人にとって、ハングルはわけの分からない表音文字になってしまう。解放されて74年経っても未だに騒ぐのは、韓国くらいなのだろうか。韓国では、食べ物の「刺身」や「寿司」、飛行機に乗れば「気流」「酸素」も当たり前に韓国語の一部として使う。植民地にされたことを恨むというが、日本には60万人もの朝鮮人が住むから矛盾する。韓国人は英語ができるというなら、いっそ英語を国語にしたらどうか。支配された時に備えて、中国語とかも選択肢になる。韓国が日本克服と言って日本語由来の言葉を全て消していったら、新聞は廃刊、雑誌は休刊、書籍は焚書、放送は停止、会話は禁止になるだろう。北朝鮮も、以前に日本語由来の漢字語を固有語に置き換える運動をした。しかし、結果は失敗に終わった。「うどん」、「おでん」、「わさび」を置き換えるのはできるかもしれないが、科学技術用語、法曹用語などの和製漢字語を置き換えることは無理だ。なぜならば、韓国で日常的に使っている漢字語のなかには、近代開化時代、日本が作った用語が数え切れないほど多い。「文化、文明、思想、法律、経済、資本、階級、分配、宗教、哲学、理性、感性、意識、主観、客観、科学、物理、化学、分子、原子、質量、固体、時間、空間、理論、文学、美術、喜劇、悲劇、社会主義、共産主義・・・・・・・・。」

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2019年6月11日 (火)

支那とは封建制を敷いた中央集権国家

2010102011083605a 連日、香港では中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」の改正案に反対する大規模デモが報道されている。主催者発表によれば103万人が参加したという。今回の改正案が成立すれば、香港住人だけでなく、渡航した外国人や中国人までもが、中国側からの要請があれば本土に引き渡される。逃亡犯条例改正案とは、刑事容疑者の身柄引き渡し手続きを簡略化し、香港が身柄引き渡し条約を結んでいる20カ国以外にも対象を広げるという内容だ。改正案は、香港を本土からの犯罪人の逃避先となっていた抜け穴を塞ぐことだという。中国本土では、三権分立ではなく共産党が司法制度を完全にコントロールしている。そのため、中国本土の司法や安全保障当局者との間で協議が行われたが、ほとんど進展はみられなかったという。ただ、現立法会は親中派が優勢だから、法案は月内に可決される。これでは、香港に広範な自治を認めた独立した司法システムの維持が難しくなる。これには、香港の裁判官も警戒感を表明しており、香港に拠点を持つ本土の弁護士でさえ、本土の司法システムは公正を期待できないと同調する。愚生は、商用で香港が中国に返還される前から頻繁行っていた。当時を思いだせば、大学修士卒で在住資格が得られるカナダ。投資総額で在留資格が得られるオーストラリアなどが人気だった。中には、日本の大学を卒業して日本人と結婚することによって在留資格を得る人もいた。トロントやバンクーバーは香港からの移民で溢れていた。日本で活躍していたアグネスチャンなども、日本人と結婚した後もカナダへ留学した。F社に勤務する香港出身者も、子供たちには日本国籍を持たせていた。他人事だとは思いながらも、香港人であるが故の決断に同情した。ただ、返還後も香港に行くことは多かったが、広州や上海が活況になるに従い香港の存在は小さくなっていった。その後、「一国二制度」は有名無実となっていった。今回の法律改正で、中国に批判的な活動家らが当局に引き渡すことが可能になる。反中的な言動や思想を持つ人が、「赤狩り」のように中国に連行される。「一国二制度」は、香港返還時に英中双方による国際的な約束だった。50年間はこの体制を維持することを両国で取り決めたが、2017年の行政長官選挙に中国政府が介入したことで反故にされた。チベットウィグル、内モンゴルも、無理やり併呑されて漢族の移住と独自文化抹殺によって中国化が進められた。そして、現在ではキリスト教やイスラム教までも中国政府の完全支配下に置く。百万人以上のウィグル人強制収容も、その一環だ。この流れの中で、いずれ香港が支那に埋没することは時間の問題だろう。台湾人が対岸から支那を信用するはずはない。支那とは、漢、晋、明といった諸王朝時代から封建制を敷いた中央集権国家だ。それが営々と今も続いている。

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2019年6月 2日 (日)

トランプは日本海・東シナ海・南シナ海を・・・。

Download_8 トランプ大統領は28日、日本の横須賀にある米海軍基地を訪問した際、米軍の強襲揚陸艦「ワスプ」の艦上で演説し「米軍第7艦隊の構成員は黄海・日本海・東シナ海・南シナ海を威風堂々と巡回する」と述べた。韓国が彼らの呼び名の「東海併記」を主張しているにもかかわらず、米国は政府の地図や公文書などで東海を「日本海」と表記している。世界各国の政治・社会・経済などの基本情報をまとめたCIAの「ザ・ワールド・ファクトブック」でも「日本海」と表記されている。更に、昨年6月にシンガポールで行われた米朝首脳会談でトランプ大統領が北朝鮮の金正恩委員長に見せた「非核化した北朝鮮の未来」と題する映像でも、「日本海」と単独で表記されていた。そもそも日本海という名前は、日ロ戦争でも日本海海戦として歴史上でも有名だ。日本以外の国々では主力決戦の海域に因み対馬沖海戦と呼ばれる。日本海海戦は、1905年5月27日から5月28日にかけて、日本海軍の連合艦隊とロシア海軍の「バルチック艦隊」の間で行われた海戦だ。そのころの朝鮮はどうだったのだろうか。日清戦争直後の朝鮮半島は、清国と結んでいた李氏朝鮮の閔氏一族が失脚した。しかし、1895年にフランス、ドイツ帝国、ロシア帝国による下関条約に関する干渉に日本が屈すると、高宗の妃閔妃はロシア帝国に接近した。ロシア軍の支援を受けて高宗をロシア公使館に移して親露派内閣による執政が行われた。1897年、高宗は自ら皇帝に即位して国号を「大韓」と改めた。高宗は「倭奴(日本)の何か事場を醸すの処あっての事なるや」「露国は朕に親切にして、且つ後楯を為せり。」と親露を貫いた。そして、18984月に日露間で西・ローゼン協定が結ばれ、両国は韓国の国内政治への干渉を差し控えることが定められ、高宗の専制体制が整った。しかし、日露戦争で日本が勝利すると事態は一変した。日露戦争の終結時になると、日清戦争後に独立した韓国の状況を見ていると、韓国の政治家に統治能力がない。独立後の10年の朝鮮は名目上の独立国に過ぎず、このまま独立国として維持されるのは困難である。英国は朝鮮が日本に支配されることは、朝鮮人自身のためにもなるという結論を得た。そして、第二次日英同盟では日本が韓国を保護国にすることが承認された。この歴史的事実からは、東海などという名は一切出てこない。そして、西海なるものが黄海だというから笑えてくる。そもそも支那では。東シナ海を東海と呼ぶ。朝鮮半島の東が東海(日本海)と言ってみたところで、方角が合うのは朝鮮半島の国だけだ。当時、清→日本→露→日本と頼った朝鮮がその権威も力もあるはずはない。歴史を学ばない民族は、何度も愚かなことを繰り返す。ところで、当時の世界最大規模の艦隊決戦となった日本海海戦は、日本の連合艦隊は被害を小艦艇数隻の喪失に留めつつ、バルチック艦隊の艦艇のほとんどを損失させた。そして、海戦史上稀に見る勝利を収めた。よく歴史を学ばなくても、世界中が承認した名称は『日本海』だということが明らかだ。このトランプ発言が韓国国内で論争に発展すると、韓国外交部はトランプ発言に直接の論評や正式な反論は避けつつ、原則的な立場だけを示した。日本の周りには無法者国家が多い。南鮮は、日本のEEZ内で火気管制レーダーを日本の自衛隊機に照射していながら、謝罪どころか、近づくと照射すること開き直る。尖閣には毎日のように支那の公船が入る。そして、日本のEEZ領海内で日本の漁船を追い払おうと違法操業をする。これらを話し合いで解決しようにも話し合いに応じない。特に韓国には、非韓三原則【助けず、教えず、関わらず】を貫くべきだ。韓国の嘘の歴史教育が、メディアにも馬鹿な記事を書かせている。韓国はみせかけの民主主義国家だ。一方、アメリカは民主主義を実践している国だ。最近の米国では、第二次世界大戦の事実の掘り起こしの研究も進み、今では多くの米国議員たちは、先の大戦は日本が仕掛けたものではなく、アメリカが日本に仕掛けたものだという認識が一般的になってきている。韓国は、事実の追及ではなく、こうであったはずだという自分たちの希望的観測で歴史教育をする。これは文在寅が言う歴史の清算なのだろうか。韓国メディアでは徴用工を問題視するが、強制動員されたなどと言う。しかし、当時は日韓合邦時代で、韓国人は、同じ日本人として平等に戦争に参加させろと市民集会まであったくらいだ。しかし、当時の日本政府は、韓国人は軍隊の規律になじまないと避けていた。ただ、その声が続くので、韓国では徴兵ではなく募集ということにした。それは記録を見ればわかる。毎年、募集人数の何倍もの応募があったと記されている。しかも韓国人は粗野で暴力的なので、多くは最前線に行くことなく捕虜の監視員だった。そう言うわけで、欧米軍捕虜たちは、韓国人が粗野だという認識があったため、看守に日本人か韓国人か聞いていたという事実まである。願望を歴史として教える韓国には明日はない。オマケで出来た国は、当事者能力がないため、いずれ亡国に進むだろう。

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2019年5月19日 (日)

参詣道としての大辺路、中辺路、小辺路

250pxemperor_goshirakawa2 昨日、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録された熊野古道と高野山への旅行から帰った。この世界遺産は、和歌山県・奈良県・三重県にまたがる3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)と参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野山町石道)を登録対象とするものだ。その中に、熊野三山の一つの熊野本宮大社などがある。そして、その霊場へと結ばれる、参詣道として、大辺路、中辺路、小辺路、大峰奥駈道、伊勢路、高野山町石道が整備されていった。この世界遺産は、日本で道として初めて登録された。文化 遺産のカテゴリーのなかでも「文化的景観」に初めて選ばれた。この熊野詣をした後白河上皇(1127~1192)は、歴代上皇のなかでも最多の34回も行った熱心な信者だった。本地垂迹思想の浸透していた当時、熊野本宮は阿弥陀如来の浄土と考えられていたようだ。その後白河上皇は、二条・六条・高倉・安徳・後鳥羽の5代もの天皇時代に院政を図り、武家勢力に対抗しつづけた。後白河上皇は、その権謀術策により武士から恐れられたという。しかし、熊野詣を繰り返す姿は、ただただ極楽往生を望むという姿もあった。武家勢力と相対峙するより、ほんとうは今様を徹夜で歌いあかしたり、今様の名手の女芸人に歌を習ったりすることのほうが性に合っていたといわれる。この熊野本宮大社へ行く大辺路、中辺路、小辺路などのルートは、修行者が霊場に行く道として整備された。その後、後白河上皇の抵抗空しく、最後には源頼朝に地頭職を握られ院政の財政的な基盤を切り崩された。そして、源頼朝の諸国守護権が公式に認められ武士の台頭を許した。こういう話を聞くと、上皇は鬱蒼とした山の中の霊場に居場所を求めたのだろうか。そして、明治維新前は金剛峯寺と呼ばれた「高野山」に、弘法大師が修禅の道場を求めた。ただ、高野山の「奥の院」には、御廟橋の先に灯籠堂、その裏に空海の御廟がある。参道には、皇室、公家、大名などの墓が多数並んでいた。真言宗」だけではなく、浄土真宗やキリスト教、イスラム教など宗派にかかわらずに墓が建立されている。これが弘法大師の教えなのだろう。その総数は20万基以上あると言われている。今回の旅行は、得るものが多かった。日本人なら、無宗教であっても一度は参拝すべき場所だとおもっいた。

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2019年4月30日 (火)

朝鮮半島で戦われた日本と明との国際戦争

Image91n 『瑣尾録』は、呉希文(オ・ヒムン1539-1613)が1591年11月27日から1601年2月27日まで、9年3カ月にわたって記録した日記だ。『瑣尾録』というタイトルは「尾羽打ち枯らし、さすらう者なるかな」という『詩経』の一節だ。日本と明との戦いから、自らの生活を記した。その呉希文が1594年6月4日に書いた日記の一節がある。時は、豊臣秀吉の朝鮮征伐と呼ばれる文禄・慶長の役の時代だ。天下統一を果たした豊臣秀吉は、大明帝国の征服を目指した。そのため、配下の西国の諸大名を糾合して遠征軍を立ち上げた。秀吉は明の冊封(属国)である李氏朝鮮に服属を強要した。しかし、これを李氏朝鮮が拒んだため、遠征軍を朝鮮に差し向けた。朝鮮国王宣祖は、すぐさま首都(漢城)を放棄して、明の援軍を仰いだ。明は、戦闘が遼東半島まで及ばぬよう日本軍を阻むために出兵した。朝鮮半島を舞台に戦われたこの国際戦争は、16世紀における世界最大規模の戦争だった。この時、呉希文は苦難に見舞われた16世紀当時の両班や奴婢、その戦争の惨状などといった生活風景をリアルに記録した。その一文、「明の兵士は絶えず行き来して焼酎や蜂蜜、ひよこなどの物を探すことが多く、少しでも思い通りにならないと大きな棒でひどく殴りつけ、まちの守令まで侮辱した」1592年の朝鮮征伐(文禄・慶長の役)によって疲弊した李氏朝鮮の世相が表れている。明の軍隊が参戦して戦果を挙げはしたが、当時の李氏朝鮮の民は、明の兵士の横暴から逃れられなかった。呉希文は「騒ぎのない日はなく、その苦しみは耐え難い」と記している。この呉希文の日記は、捏造の韓国歴史教科書では、目にすることができない真実の歴史だ。とりわけ、明の義兵に対する呉希文の評価は冷静だ。彼は、朝鮮を助けた義兵という名に隠れて、官穀を無為に食いつぶす明兵を批判している。「遠くに退いて縮こまったまま、兵糧ばかりをいたずらに食いつぶす(中略)名が義兵というだけで、実は逃げ出して罪に問われた官軍が、処罰を免れようとしてこの有様というわけだ」。【歴史の真実は、豊臣秀吉は明の属国である李氏朝鮮に明への道案内を要求した。しかし、朝鮮は拒否した。そこで、朝鮮征伐のために15万人を超える秀吉大軍を朝鮮半島に派遣した日本にとっては「白村江の戦い」以来、約900年ぶりの国際戦争だった。日本軍を迎え撃ったのは朝鮮軍・明軍合わせて約25万人、両軍合わせて40万人を超える16世紀最大の国際戦争だった。日本軍は、一時は朝鮮半島のほぼ全土を制圧したが、明の参戦で戦線は膠着状態となった。戦いが4年に及ぶと、日本軍の中にも厭戦気分が蔓延し、日本と明との間で講和交渉が行なわれ休戦した。双方の講和担当者は、本国に向けて、相手が降伏したという偽りの報告をしていた。明は秀吉に対し、日本国王の称号と金印を授けるために使者を派遣した。秀吉は激怒して使者を追い返し、朝鮮への再度の出兵を決定する。秀吉は、またも14万人を超える大軍を朝鮮半島に派遣した。日本軍は、数に優る明・朝鮮の連合軍を各所で打ち破った。そのまま攻め込んでいたら、明を窮地に追い込んだ可能性は高かった。しかし、秀吉が病死したことで、対外戦争を続行する状況ではなくなった。秀吉の死を秘匿して日本軍が撤退した。歴史教科書には、「慶長の役」で日本軍は苦戦したと書かれていることは事実でない。日本軍が「慶長の役」で明軍を圧倒していたことは支那も認めている。その証拠に、秀吉による朝鮮出兵が開始されて明は10万の将兵を喪失し、百万の兵糧を浪費した。明と朝鮮に勝算はなく、ただ秀吉が死去するに至り戦争は終息した。秀吉の練った計画そのものは周到だった。「文禄の役」と「慶長の役」において、日本軍は終始、明軍を圧倒していた。日本軍が、モンゴル軍のように捕虜とした朝鮮人を兵隊として用いた。その後、日本との戦いで疲弊した明は、農民反乱指導者の李自成により減された。李自成も翌年、北方の少数民族である女真族の清に減される。】この歴史の事実を、文在寅や朴槿恵は、どう受け止めているのだろうか。歴史から教訓を学ばぬ者は、過ちを繰り返して滅びる。廬武鉉、李明博、朴槿恵、文在寅と彼らは、真実から目を背け滅びていった。今の韓国もそうだ。いったい、いつの時代に朝鮮が自立していたことがあっただろうか。朝鮮は、支那と日本の間にある緩衝地帯でしかなかった。文在寅は、廬武鉉と同様に、馬鹿は死ななければ治らないようだ。

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2019年4月17日 (水)

二度と日本に足を向けて寝るな

200401260000721in_homecul_w 韓国の文在寅大統領は、韓国軍に対し「切歯腐心」(歯ぎしりして悔しがること)の精神を持てと、7回強調した。軍人相手に、この阿保大統領が何を言ったのか気になった。それは、日本の植民地や第2次大戦、その後の朝鮮戦争などの歴史に言及し、「結局は力がなければ平和を成し遂げられない」と、戦時作戦統制権や北朝鮮非核化の問題に触れたことだ。しかし、いったい誰を相手に「切歯腐心」せよというのだろうか。愚生は、一番世話になっている日本に対してではないのかと思った。しかし、どうも米国と北朝鮮の双方から自分たちの側に立てと迫られる状況下で、強い国防力を強調したかったようだ。思いだせば、朝鮮戦争の勃発時に、大統領の李承晩は、命惜しさに韓国を抜け出した。その際、交戦権に当たる韓国軍事統制権も米国に渡した。その後、70年間も韓国は、戦争をするには米国の支配下行わなければならない状況だ。文在寅は、南北間の問題は、外交を通して解決すべきだと考えているが、それには強い力があってこそ初めて成功し得るという。歴史を思えば、当たり前のことだろう。朝鮮の独立は、日清戦争の結果だ。そして、朝鮮半島からロシアを追い払ったのは日露戦争だ。朝鮮半島に韓国が存在するのは、米国が朝鮮戦争に参戦したからだ。韓国という国は、愚生に言わせれば棚から牡丹餅で出来た国だ。間違ってできた国だから、住んでいる連中も真面ではない。当然、選ばれた大統領も間違った人物だ。そう思えば、それほど腹は立たない。軍への演説の中で、文は朝鮮征伐(文禄・慶長の役)、丙子胡乱(後金および清の朝鮮征服)などにも言及し、切歯腐心しなかったから、我々は国を失ったと力説する。南北朝鮮の分断を克服するには、強い国防力を持つことが必要だと激を飛す。こういう訓示を聞くと、韓国で何か問題かが分かってくる。まず、力がないから分断されたというが、元々朝鮮半島には支那の属国があっただけだ。朝鮮半島の国は、独立国としての外交権は持たなかった。文在寅のように、正しい歴史を学ばないものは、こういう勘違いをする。朝鮮(朝の静けさの国)という国名は、明の洪武帝が選んだものだ。そして、李成桂を権知朝鮮国事に封じたことにより、朝鮮は正式な国号となった。元々、朝鮮半島にある国は、独立国としてあったわけではない。歴史を辿れば、日清戦争で日本が勝利して、清から独立させたからだ。そうであるから、文在寅に正しい歴史を学ばせ、二度と日本に足を向けて寝るなと言いたい。

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2019年3月10日 (日)

朝鮮には過去の歴史建造物も文献もない

Keijo61 先々週、台湾に旅行した時に、中華民国総統府は今でも日本時代の台湾総督府を使用していることを知った。また、中国共産党は(中華人民共和国)関東軍司令部の建物を今も使っている。オマケでできた半島に恨の国と大きな違いだ。彼らは、恨みが礎の国だからなのだろうか、未だに鬱憤と慨嘆の中で生きている。前大統領の朴槿恵は、慰安婦問題で日本を口先外交で口撃した。今の大統領の文在寅は、政経分離のツートラックといいながら、日本批判を繰り返す。東アジアの国はどこも同じかといえば、中国は柔軟だ。彼らの外交は、瞬時に実利に転換する。2014年、習近平は朝鮮征伐(文禄・慶長の役)で韓国と協調を模索した。習近平は、ソウル大講堂で日本に対して共通の敵愾心を話した。そして、中韓両国は日本の安倍政権に対抗した。しかし、日中韓の三角関係が複雑化した今、中国は立場を入れ替えた。つまり、韓国の歴史観と決別して、日本との関係の修復を急いだ。中国の柔軟性は、東北3省(旧満州)に行けば実感する。ここは過去、満州国(1932~1945年)だった地だ。吉林省長春は満州国の首都だった。当時、日本の関東軍は、満州国の建設と満州事変を演出した。展示館の関東軍司令部の写真には、「傀儡満州国の太上皇関東軍司令官、東北人民鎮圧屠殺の総指揮部」と憎悪をむき出しに表現してある。しかし、 そのような感情は街頭に出ると変わる。長春には満州国の建物が、今もあちこちに残っている。中国は過去の歴史建造物を大切にして壊さない。関東軍司令部の建物でもそうだ。建築様式は、日本の城郭である天守閣が大阪城と似ている。そのような関東軍司令部建物が今も中国共産党吉林省委員会として使用されている。表札を満州国時期に「関東軍軍法会議」と記されていたものを、日本関東軍から中国共産党に変えただけだ。博物館案内員になぜ日本伝統様式の関東軍司令部の建物をなぜ壊さないのかと聞けば、建物には罪がないからだという。そのあたりが、中国人と朝鮮人との違いだろう。中国人の多くは日帝時代を厳しく非難するが、その意識は洗練されている。中国の歴史博物館に共通の文面がある。「前事不忘 後事之師(過去のことを忘れずに未来の師としよう)」だ。要するに温故知新だ。中国外交は半島の恨の国と違い転換が早い。実利を重んじるから、米国トランプ大統領との争いが激しくなると、習近平は、安倍政権に接近して実用外交を展開する。歴史を考察すれば、日本は満州国を作り清朝最後の皇帝を執政にした。元々、満州の地は漢族の居留地ではなく、女真族つまり清のものだからだ。漢族にとって満州国建国は関係の無いことだからだ。中国の長い歴史は、半分は異民族に支配されている。しかし、その属国である朝鮮は、すべて中国の支配者に意のままだった。思いだせば、日清戦争で日本が勝利して初めて朝鮮は独立を勝ち得た。その朝鮮は、過去の歴史事実や遺産を自ら放棄してきた。そのため、朝鮮には過去の文献もなく、あっても漢字が読めず、自分の不利になる事実を捏造で穴埋めしてきた。それゆえ、他国に建ててもらった素晴らしい建物は、自らの嘘を守るために破壊せざるを得なかった。愚生が初めて韓国に行った時に見た朝鮮総督府も今はない。一方、ウズベキスタンでは、日本が建造したナヴォイ劇場を誇りにさえしている。半島に住む連中がおかしいと思うのは、愚生だけだろうか。

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